時は平安末期、平清盛が ここに 別邸を建て「西八条殿」と称し
紀州熊野 若一王子の御霊を 祀ったのが 始まりとされています。
清盛の功績から、開運出世の神として 参拝者の絶えない神社です!
神社前には、平清盛が 植え付けたと言われる 大楠の大木が
その 圧倒的な存在感を アピールしているようです!
楠社
碁盤の目になっている はずの道路ですが、
こちらの楠社の 八条通り沿いだけが、こんもりはみ出して
いるのです。
それは、昭和9年に 市電工事の為 枝を切り落としたところ
工事関係者に災いが 降りかかり
切り落としを断念したのです!
この楠が この地を守っているのですから、
今後も 寿命の限り、この場所で存在し続けて
欲しいと 願っているのは、私だけではないはずです ^ ^
平清盛が 六波羅在住の頃 この辺りは 浅水の森といわれ
たいそう 風光明媚な処であったそう。
こちらに 別邸を建てるほど、
清盛はんの お気に入りの場所だったんでしょうねぇ!
この、大楠は、樹齢が なんと 800年なのだそう Σ(・□・;)!
平清盛像です!
こちらが、本殿 御祭神 若一王子。
御神水 開運出世の水なんですって!
ガブガブ 飲みたく なりますね ( ̄+ー ̄)
こちらは、平家物語に出てくる 祇王の歌碑です。
祇王には、悲しい話があるそうです。
平清盛には、時子という 正妻がいたのですが
清盛には 他にも 何人かの 愛人がいて、その中でも
白拍子の娘の祇王を 寵愛し、その 母親や妹まで邸宅に置いていたほど
でしたが、3年後に 新たな白拍子の仏御前が現れ 清盛は
心変わりをしてしまいます!(なんやて!)
祇王は、若くして世を捨て 尼になり 嵯峨の里に
庵を造り 母と妹と共に余生をおくったそうです。
その後、仏御前も 後を追い 嵯峨の里で
四人で暮らしたのだそう。
ん?
なんのこっちゃ??~(・・?)ですよねぇ?
* 白拍子とは、平安時代末期から、鎌倉時代にかけて
出現した 男装の女芸能者のこと。
まぁ、正妻が 一番 しんどかったと 思うけどね (u_u)
祖霊社
昭和58年に建立。代々の神職及び 総代 世話方などの
特別な崇敬篤き 方々の御霊を奉斎されているそうですょ。
こんな おまんじゅうが あったのですねぇ!
機会があれば 買いに行こっと!^ ^
ほな(=゚ω゚)ノ
若一 神社
住所 京都市 下京区 七条御所ノ内 本町9
電話 075 313 8928