死んだ母親が棺の中で赤子を産み落とし、その子は幸いにして生きていたので、死んだ母親は三途の川を渡る為の六文銭で飴屋で飴を買い、赤子に飴をあげて育てていたという話なのですが、死んでも幽霊となって現れることが出来たのは、この「六道の辻」と言われる特別な場所で、あの世とこの世を繋ぐ場所だからと言われているのです。
あの世の入り口と言われる六道の辻には、冥界絡みの伝説や寺が多く残っています。
当時の二足の草鞋を履く(にそくのわらじをはく:二つの職業を持つという意味)と
噂されていた「小野篁:おののたかむら」は、昼間は朝廷の官吏として勤務して、夜は
井戸を通って冥界へ行き、地獄の閻魔庁(えんまちょう)に勤務する、人間でありながら異形の世界に通じることの出来た不思議な人間?だそうです。
小野篁(おののたかむら)は、延歴21年(801年)に生まれました。
身長は当時で180センチを超える大男で、乗馬や弓矢、剣術に長け、また漢詩にも明るく平安の歌人とも呼ばれていたようです。
また、何事にも動じない肝の座った男で、自由奔放な割りに正義感は強く、政界や役人の不正を暴く役目を担うという、正義のヒーローのような存在だったのでしょうか。
そんな篁(たかむら)がいつ頃からか、地獄の閻魔大王に仕える事になったそうです。
それは亡き母に会いに行くために、あの世へ辿る入り口を見つけたことから始まり、
閻魔大王と出会ったのがキッカケなのかもしれません。
閻魔大王とは、仏教、ヒンドゥー教などで描かれる地獄の王のこと。死者の生前の罪を裁く神といわれています。
猫丸が子供の頃は「嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれるよ」と、よく大人に言われた言葉ですが、今は死語ですかね?
要するに、嘘つきは泥棒の始まり(うそつきはどろぼうのはじまり:嘘を平気で付く人間は、やがて盗みも平気でやってしまい、やってないと嘘をつくようになる)という諺の如く、嘘は罪であり、罪人は死後に舌を抜かれるという訳です。
仏教の教えでは、人は死ぬとまず地獄に落とされ、生前の行いについて審査をされるそうです。
地獄には10人の裁判官がいて、7日ごとに各裁判官の元で生前の行いについての取り調べが行われ、初めの7日間は、殺生についての取り調べが行われ、次の27日は盗みについての取り調べ、その次の37日には邪淫(じゃいん:節操がないこと。淫らに異性と交わること)について取り調べられ、その次の47日には現世でついた嘘についての取り調べが行われるのだそうです。
そして最後の57日間は「六道」について人間が最終的に行く先を決められます。
死者の因果により行き先を決めるのが閻魔さんなんですね。
六道とは、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上という6つの世界のうち、どこに生まれ変われるかは、その人の生き様次第です。
閻魔大王の補佐を務めていたのが小野篁なんです。
京都の東山区には「六道さん」と呼ばれる寺があります。
それが「六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)」寺で、平安時代この辺りは「鳥辺野(とりべの)」という平安京の墓場というより、死体の捨て場所だったそうです。
この寺が鳥辺野の入り口にあったことから、ここが「あの世とこの世を境界線」と考えられたと推測されています。
六道珍皇寺は死者に引導(いんどう:仏語・死者が迷わず悟りを開くよう仏語を唱えること)を渡す所。
小野篁は死者を見送る手助けをしていたといいます。
そして、あの世からこの世に戻る為に使われた井戸は、嵯峨野の六道町という所には「福生寺」という寺があり、その福生寺の境内にあった井戸からこの世に戻って来たと言われています。
現在、福生寺は存在しておらず井戸もないと言います。
要するに、あの世からの帰り道は完全に塞がれたのかもしれません。
古代は東の鳥辺野は「死者の六道」そして、西の嵯峨野は「生の六道」と呼ばれたそうです。
そんなあの世とこの世を行き来のできた篁(たかむら)ですが、やはり篁も肉体のある
人間です。仁寿2年(852年)にこの世を去ったと言われています。
篁が亡くなった時に、生の六道の井戸は篁自身が封じたのかもしれません。
篁のお墓は、不思議なことに紫式部(むらさきしきぶ:平安時代の女性作家、歌人で「源氏物語」の作者と考えられている)のお墓の隣にあるそうなんです!
お参りに来られた方は、さぞ驚かれていると思います。
謎ですよね?(墓所は堀川北大路を下がった西側だそうです)
紫式部と篁の関係とは一体何なのでしょうか?
実は紫式部は、妄語戒(もうごかい:嘘をついてはならないという戒め)という戒律を破った罪で大焦熱地獄(だいしょうねつじごく)という地獄に堕ちたという言い伝えが残っており、(要するに源氏物語で色恋の絵空事を本当のことのように描写した罪)
その時代の人々を小説で惑わせたという罪だそうです。
しかし、生存していた時代が違う二人…。
二人の接点は未だ見つかりませんが、一説によれば、地獄に堕ちた紫式部をどうしても助けたいとする紫式部のファンが、小野篁の力を信じて紫式部を助けて貰う為、小野篁の墓を隣に作った?という説もあるようです。
まぁ、この時代は怨霊などを本気で信じていた時代背景がありますから、それもあり得る話ですよね…(^_^;)
六道珍皇寺では、毎年8月7日から10日にかけて「六道参り」というお盆の行事が行われます。
お盆にご先祖様の霊を迎える行事です。参拝時には、「一打すれば十万億土に響く」と言い伝えられる「迎い鐘」をドーンとつきます。
すると十万億土に響くという、この鐘の音を頼りにご先祖様が帰ってくるわけです。
この時期にだけご開帳されるという閻魔堂には、地獄の閻魔大王と等身大(180cm)の小野篁が一緒に祀られているそうです。
この前に立つものは「過去の罪」を懺悔(ざんげ:それぞれの宗派の神の前にて罪の告白をし、悔い改めること)し、心を改める機会を与えてくれているのかもしれません。
人を思い遣る篁(たかむら)が人間の心洗いに一役買っているのかもしれません。
またこの界隈には「檀林皇后九想図」という人間が死んで腐敗し、やがて白骨化して土に還る様子を描いたという絵を所有する「西福寺」があります。
この絵は、お盆の数日間のみ公開されるそうですので、タイムリーにみられますね。
また、清水寺辺りは、平安時代は風葬が行われていた場所だそうです。
ちょうど、もうすぐお盆です!(本日2014年8月1日)
京都に観光で来られる方々、京都の夏は暑いですので、六道辻界隈を散策してゾ〜っとしながら、涼しく過ごされるのも良いかもしれませんね…( ̄▽ ̄)
六道参りは8月7日からです。
ほな(=゚ω゚)ノ