猫丸ねずみの大荒れトーク


カテゴリ:京都( 105 )



京都・宇治駅周辺と平等院



みなさま ご機嫌いかがでしょうか。猫丸ねずみです。


今回は京都の南部に位置します宇治駅から世界遺産の「平等院」までの周辺をご紹介したいと思います。

猫丸は7年京都に住んでおりますが宇治には初めて来ました。

京都駅からJR奈良線で普通列車で約30分ほどで到着します。

快速ですと17分で行けちゃいます!

もう少し時間が掛かると思っていたので、意外と近くて驚きました。


⬇︎こちらが宇治駅。とても可愛らしい駅です (^_^;)



b0301400_00305302.jpg
b0301400_00323462.jpg
b0301400_00330176.jpg



一見すると何にもなさそうに見える宇治駅ですが…(^_^;)

ところが京都市に次ぐ人口を有するのが宇治市で、観光客数も2013年度では京都市に次いで2位だそうですょ!

宇治といえば言わずと知れた「宇治茶」が有名ですよね。

平等院へと続く参道にはお土産やさんがズラリと並んでおりますが、見事にお茶を使ったお土産のオンパレードで、違う意味で緑多き観光地でした(笑)

また、宇治茶と共に有名なのが「光源氏」。

光源氏物語の作者「紫式部」の碑などもありましたので、後ほどご紹介致します。



b0301400_10590063.jpg


平等院の参道に出るまでの商店街にドーンと目に付く大きな和風の建物を発見しましたが何でしょう?!

暖簾がなければ商店には見えません。

「何屋さんなんだろぅ?」と、そ〜っと中を覗くと、店内はかなり広く結構な数の人がおり、とても驚きました!

中に入って初めてお茶屋さんだと判明しました(笑)

写真で撮り損ねたのですが、暖簾には大きな十字のマークがあり、「あ!なんか見たことあるマーク」と思っておりましたら、JR京都駅の中にもある創業160年の老舗のお店「中村藤吉」さんという老舗のお茶屋さんのマークでした。

京都でお茶屋さんといえば花街で芸妓さんを呼んでお客に飲食をさせるお店のことですが、こちら宇治では飲むお茶を販売するお店です。





b0301400_00363635.jpg



⬆︎こちらが安政元年創業という中村藤吉さんの本店となります。

「永代日記」と題された古文書によりますと宇治御物茶師・星野宗以のもとで修行し、宇治の地に「中村藤吉商店」を開業され、勝海舟(かつかいしゅう)から賜った「茶煙永日香」を家訓に掲げ、天皇陛下に御茶を献上、茶道御家元より茶銘を頂戴して以来茶業一筋に営まれているそうです。

京都駅の他に大阪梅田本店と、札幌丸井今井店に支店があるそうですょ。





b0301400_00371574.jpg


入り口の暖簾をくぐり左手に⬆︎の部屋があります。



b0301400_00385210.jpg
b0301400_19313571.jpg


⬆︎入り口右手が店舗になっておりました。



b0301400_19320694.jpg

b0301400_19323495.jpg




入り口を入って真正面には中庭があります。
中庭の奥⬆︎はカフェのようで、沢山の方が順番待ちをしておりました。
こちらは予約は受け付けていないようです。カフェでは宇治茶を使ったスイーツが食べられるそうです。

また、石臼で御茶を挽いて抹茶にする挽き茶体験も出来るそうですので、挽き茶体験をご希望の方は、お店にお問い合わせください。

中村藤吉平等院店

電話 0774 22 9500

店内にはお茶の葉だけでなく、お茶を使った冷たいスイーツやチョコレートも販売されておりました。

この日は2月13日でバレンタイン前日でしたので、息子や知人にお茶のチョコレートを買ってきました。

包装紙が洒落ていてとても素敵です!





b0301400_19420458.jpg
b0301400_19421640.jpg
b0301400_19422576.jpg




⬆︎ こちらが抹茶とほうじ茶のチョコのセットです♪

お値段は2千円弱だったと思います。
箱も素敵ですよね ^ ^

店内でチョコレートの試食とおちょこサイズのお茶をいただきました。
チョコレートはパリッとした食感の板チョコで、甘さは控え目。

美味しくいただきました ^ ^


中村藤吉さんを出て商店街を右に平等院へ向かう道を真っ直ぐ歩いて行きますと、左手に宇治川が見えてきました。

平等院へ上がる平等院の参道手前に紫式部さんの石像が見えます。

こちらは、ちょっとした憩いの場になっております。





b0301400_11205279.jpg




紫式部(むらさきしきぶ)は、平安時代の学者で詩人である藤原為時(ふじわらのためとき)の娘さんで中期の女性作家、歌人です。

藤原宣孝(ふじわらののぶたか)に嫁ぎ娘を出産。夫の死後、一条天皇の中宮で娘の藤原彰子(ふじわらのしょうし/あきこ)の女房として仕えている間に、あの有名な平安時代の恋愛小説「源氏物語・げんじものがたり」を作成した作者だと考えられているお方なのです。

「男もすなる日記といふものを 女もしてみむとて、するなり」これは土佐日記の冒頭の一文で「男性が書いている日記を、女性もしてみようと思って始めました」と書かれているそうです。

当時は日記など女性がするものではなかったようです。
この日記は読み手を意識したものだそうで、現代で言えばブログのようなものだったのでしょうか。

しかし、紫式部さんは本当のところ、いつ生まれて いつ亡くなったのか、本名も何もかもが謎なのだそうです。

しかも、実在の人物だったのかどうかも判っていないそうです。

源氏物語の新訳を書いた与謝野晶子さんは、源氏物語は作者が一人で書いたことを疑っていたそうです。

それは途中で源氏物語の作風が変わっていたからなんだそうです。

謎は人に良くも悪くも想像の産物を与えます。
式部さんは謎が多かったからこそ有名になったのかもしれませんね。

当時は地位や名誉や家柄が良くても、男女共に和歌が詠(よ)めなければ結婚も出来なかった時代だったそうです。

それほど和歌を詠めるか否かで大きく運命も変えれるほどに、この時代に和歌が詠めることはイコール力を持てる処世術ともなったのですね。

確かに言葉を生み出すって本当にスゴイことです。

和歌とは日本語における言葉という音が奏でる想い…。

移ろいゆく季節、自然、日本人の精神を表す言葉の文化。

とても一言では言い表せない感情を短い言葉で表現しています。



b0301400_19492749.jpg
b0301400_19495216.jpg



ここから宇治橋が見えます。

宇治橋は646年に建てられたという日本三古橋のひとつと伝承される橋なんだそうです。

646年といえば大化の改新が起きた政治的改革の時代。
宇治は歴史的にも合戦が繰り広げられた地でもあります。豪族を中心とした政治から天皇中心の政治へと移り行く時代に架けられた橋なのです。

滋賀県大津市の琵琶湖から流れ出た瀬田川から流れる水が京都府に入る辺りから宇治川と名前を変えます。

自然に恵まれた宇治川の水はとてもキレイだったのでしょう。

豊臣秀吉が茶会の際に宇治川の水を汲ませたと伝えられており、秋に開催される「宇治茶まつり」では、現在もここの水が汲まれているそうです。

宇治川は木津川と合流した後、やがて桂川とも合流して淀川となり大阪湾へと辿り着くそうです。

宇治川について平家物語では「白浪(はくらう)おびただし うみなぎりおち、灘枕(せまくら)おほきに滝になって さかまく水もはやかりけり」とあります。

これは、「川一面に白波が立って流れ落ち、灘枕は大きく盛り上がり滝のように音を立てて、逆巻き流れる水勢も速かった」ということですので、川幅広く水量も豊富、流れも速かったと伝えています。

現代も水量は変わらず豊富で、水の流れも速かったです。

今回は残念なことに橋は修繕工事中でしてシートがかけられておりました。




b0301400_19501873.jpg
b0301400_19511114.jpg



さあ、ここからが平等院への参道です。

土産物屋さん、菓子店やお茶屋さん、喫茶店や甘味処などが並びます。




b0301400_19532877.jpg
b0301400_19525956.jpg
b0301400_19540566.jpg



参道にはお土産屋さんがたくさんあります♪

宇治はお茶どころですので、見事なまでに緑のお土産三昧です (^_^;)

平等院正門と書かれた場所の後ろの和菓子屋「駿河屋」さんの和菓子が気になり、こちらでお土産を買いました。

それがコチラ!




b0301400_19563883.jpg


⬆︎左が「茶の香餅」で右が「茶団子」です。



b0301400_19573432.jpg
b0301400_20071118.jpg



茶団子は甘さ控え目で普通に美味しいお団子ですが、このお団子は他のお店でも販売されておりました。しかし茶の香餅はこちらだけの商品でしょうか。

食べてみて、びっくり!

食感といいお味共にかなり美味しい和菓子ですヽ(;▽;)ノ

求肥のような柔らかい食感。甘過ぎず抹茶のほろ苦さとマッチして幸せな気持ちになれました。

こちらは本気でお勧めのお土産です♪

平等院へ来られましたら是非、駿河屋さんの「茶の香餅」を食べてみてください ^ ^



ここからは平等院の正門までの参道にありますお店です。



b0301400_20074951.jpg
b0301400_20091442.jpg
b0301400_20093861.jpg
b0301400_20100079.jpg
b0301400_20102676.jpg
b0301400_20105550.jpg
b0301400_20111933.jpg
b0301400_20114021.jpg
b0301400_20120307.jpg
b0301400_22384500.jpg
b0301400_22592449.jpg
b0301400_23003260.jpg
b0301400_23005528.jpg



さて、お待たせ致しました。こちらが平等院の入り口となります。




b0301400_11080122.jpg




世界遺産の平等院鳳凰堂(びょうどういん ほうおうどう)は10円玉にデザインされている建物で有名です。

10円玉のデザインに選ばれたのは昭和26年。理由としては、日本の代表的な文化財であり、建物に特徴があるからだとしか公式に発表されておらず、選ばれた理由は他にもあるのかもしれないそうですが、未だに謎だそうです。

平成24年に2年かけて56年ぶりに修繕工事をして創建時のように美しい姿になった平等院。完成した時に赤茶色の柱と鈍色(にびいろ)の瓦が見事で、屋根の鳳凰像は金色に輝いていたのをニュースで観ました。実際に目にして見ると、思ってあたよりも地味な印象でした。

この日はものすごく観光客の方がいっぱいで、中に入るまでにかなりの時間がかかるとのことでしたので断念し、見える所だけ写真を撮って来ました。

平等院は、関白藤原道真が左大臣 源重信の婦人から譲り受けた別荘を、その子供である頼通が1052年の永承7年に仏寺に改め平等院とし、同年に本堂を、翌年には鳳凰堂を造立しました。この時 頼通は還暦(60歳)だったとか。堂内には、平安時代の最高の仏師「定朝」によって制作された丈六の阿弥陀如来坐像が安置されたお寺です。

この時代は天災や戦乱、大飢饉などが続いた時代でした。
そんな戦乱や天変地異に恐怖した時代に太陽の如く光輝く鳳凰堂は人々の救いの象徴である「極楽浄土」の世界を表し、人々に死後の安心を与える目的があったのかもしれません。

但し、当時は偉い人しか入れなかったそうですけど、それでも人は平等に極楽浄土に行けるのだと信じてつけた名前なのでしょうか。

調べる限りは現在のように気楽に訪れることの出来ない場所ではあったようです。




b0301400_11020314.jpg
b0301400_11021980.jpg



今回は観れませんでしたが、平等院鳳凰堂の内部の壁面には「九品来迎図」が描かれ、阿弥陀仏が「自分は仏の住む安楽な浄土に生まれたい」と願う死の淵にある人間を、それぞれの前世の報いと、死の淵でどのような覚悟を持っているかを厳しく判別し九つの迎え方をもって浄土への導く往生の様子を描写したものとなっているそうです。

屋根の鳳凰とは、中国の想像上の鳥のことです。「鳳」は雄鳥を、「凰」は雌鳥を表した鳥だそうです。聖天子が治める平和な世にのみ姿を現すとされている鳥で、鳳凰が飛ぶ時には、その徳により雷や嵐も起こらず、河川も溢れず、草木も枯れないことから、天変地異の時代を救う象徴としたのでしょう。

鳳凰や不死鳥、火の鳥などは勿論想像上の鳥なのですが、先日アイスランドの上空にその想像上の鳥のうちの「不死鳥」がオーロラの中に出現しと話題になりました。

オーロラとは、太陽の爆発で放出された粒子が地球磁場に衝突して北極圏に運ばれ、大気と混ざり合って発生するものがオーロラです。

そんなオーロラが不死鳥のように見える画像がこちら。




b0301400_12331895.jpg


確かに鳥のように見えますねぇ。

偶然とはいえ、このような不思議な現象を古代の人々も見たのかもしれません。
なので、もしかすると実際に見た人もいた可能性もあるわけです。

1968年以降、棟上に設置されていた本物の鳳凰は取り外され、現在はレプリカの鳳凰が設置されているとのことでした。

ホンモノは別途保管されているそうです。初代鳳凰は、平等院ミュージアム鳳翔館で拝観できるそうですょ。




b0301400_11002834.jpg


b0301400_23054036.jpg
b0301400_11000647.jpg
b0301400_02021642.jpg
b0301400_11024396.jpg


曇り空でお天気は今ひとつでしたが、水面に映る平等院はとても美しかったです。
b0301400_23065642.jpg
b0301400_01595239.jpg
b0301400_02002470.jpg

b0301400_02030674.jpg
b0301400_02010029.jpg




美しく優美な平等院。宇治川沿いには2000本の桜が植えられているそうですので、綺麗に桜の花が咲く季節に、また改めて訪ねたいと思います。



さて、最後は本日食べたお昼のランチと、食後に行ったカフェをご紹介します ♪


お昼は参道にあります定食屋さんで「天丼定食」と「三種のミニ丼とお蕎麦のセット」
を食べました。お蕎麦は両方共、温かい茶そばです。

茶そばは想像していたモノと違い、なんだかツルンとしたお蕎麦でした。

滅多にないことですが、お店の名前が入った写真を撮り忘れてしまい店名が分かりません (^_^;)

ちょいちょいボケますが御許しを。(本当はいつもボケてます)

平等院の入り口から見て左手の2つ手前のお店だったと記憶してます…。





b0301400_12340256.jpg



食後は表参道の真ん中辺りにあります「和夢茶カフェ」さんへ。

入り口手前は和風雑貨のお土産屋さんになっており、その奥にカフェがあるスタイルのお店です。

カフェに入ってメニューを見ますと点心なども食べられる中華カフェ♪

中央にはテラス席もあります♪

そんなに寒くは無かったので、コートを脱がずにテラス席で温かい珈琲をいただきました ^ ^





b0301400_12251450.jpg
b0301400_12245936.jpg
b0301400_12255207.jpg

b0301400_02042960.jpg


こちらは抹茶豆腐を使用した麻婆豆腐がオススメだそうです。

先ほど食べた抹茶蕎麦のように、何だかツルンとしている食感のお豆腐なんだそうですょ。



和雑貨&和夢茶カフェ

宇治茶と中華の創作料理&カフェ

住所 京都市 宇治市 宇治蓮華12

電話番号 0774 23 8388

営業時間 11:00〜18:00

不定休



平等院の周辺には宇治橋と深い関わりのある「橋寺放生院・はしでらほうじょういん」や、西国三十三所巡礼の第10番札所である「三室戸寺・みむろとじ」や、平安時代後期建築で現存する最古の神社の「宇治上神社」や、道元禅師により開かれた「興聖寺・こうしょうじ」、そして「源氏物語ミュージアム」などがありますので、宇治は1日ゆっくり見て回れると思います。




b0301400_12381745.jpg
b0301400_12383752.jpg
b0301400_12390700.jpg
b0301400_12392607.jpg



ほな(=゚ω゚)ノ



by neko_nezumi | 2016-02-29 12:41 | 京都 | Comments(0)


京都・栂尾山(とがのおさん)周辺と世界遺産「高山寺・こうざんじ」の石水院




今年は紅葉を本格的に愉しむ時間もなく、なので街中でウロウロすることが多かったのですが、2015年12月13日の日曜日に友人に誘われて右京区の栂尾山までドライブに行って参りました。

今年は暖冬の影響もあって山の麓にはまだ紅葉した木々が少し残っており、残り紅葉を観ることができました♪

久し振りに自然界の恩恵を間近で感じ、森林浴で魂もリフレッシュできた1日となりました。こうして自然に触れると、やはり自然界は人間になくてはならないものだと改めて感じます ^ ^

京都駅近くから車で約45分くらいでしょうか。
⬇︎こちらが高山寺の駐車場前の162号線の道路です。天気は曇ってましたが雨に降られることもなく暖冬のお陰でまったく寒いこともなく、冬の山の中だというのに快適な1日でした(^_^;)







b0301400_09062245.jpg





上の写真の右手には写真⬇︎の茶店「もり」さんがあり、甘酒やらモミジの天婦羅などが売られていました。大好きな甘酒をひとつ注文し友人と半分こ。モミジの天ぷらは店頭で揚げたて熱々を店員さんが試食で食べませんかと1つくださいました♪
熱々サクサク〜♪
甘酒は…驚くほど甘かったです(^_^;)
高山寺は山の中にあるお寺なので、山道を歩くお参りから帰ってこられた人達の疲れた身体には丁度良い甘さかもしれませんね。
モミジの天ぷらは大阪の箕面(みのう)で何度か食べたことがあり懐かしい味です ^ ^








b0301400_09245937.jpg

b0301400_09254864.jpg
b0301400_09261884.jpg
b0301400_09265058.jpg





栂尾(とがのお)は、とがのを、とがの、つがお などと呼ばれ古い固有名詞のひとつだそうです。こちらの栂尾(とがのを)は高山寺周辺を指す地名だそうです。
古くからこの地は霊場であり、畿内におけるまた茶栽培の発祥の地なのだそうですょ。
また紅葉の名所、高雄、槙尾、栂尾の三大名所のひとつなんだそうです。

そして、この茶店の横には清滝川という川が流れていると聞き早速覗いてみると…。

まぁ、なんてきれいなこと!

水の透明度が半端じゃありません ( ̄O ̄;)!!!

清滝川という名前にぴったりな美しい清流です!

清滝川は水系桂川(かつらがわ)支流の一級河川です。

水源は京都北山の桟敷が岳(北区と右京区、京北町の境界に位置する標高895.9mの山)など。桂川の合流部付近は保津峡と呼ばれてます。







b0301400_09424793.jpg
b0301400_09430758.jpg




⬇︎茶店「もり」さんの少し先にも「とが乃茶屋」という茶店があります。
屋根が苔むしていてとてもイイ感じです。





b0301400_12033097.jpg





⬇︎こちらは栂尾山(とがのおさん)高山寺の駐車場の方から上がる裏参道の入り口です。近年はこちらの入り口を利用する人が多いそうです。そりゃバスや車降りて直ぐに上がれる道を行きますよね。猫丸たちは知らずに上がりましたけど…(^◇^;)






b0301400_12102100.jpg


b0301400_12103755.jpg






地図を見てみますと、ものすごーく広そうです。そして茶畑なんかもあります!

この時点でどれくらい歩けば上まで辿り着けるんだろうか…という思いでいっぱいでした…(^◇^;)

高山寺は1994年に世界文化遺産に登録されたお寺です。

全く知らずに寄りましたが、スゴイお寺だったのですねぇ(^_^;)







b0301400_14045946.jpg
b0301400_22040350.jpg

b0301400_22041963.jpg




どれくらい歩けば…地図を見てそう思ったのは、この日、猫丸は5年ぶりに風邪を引き、体調が万全ではなく無理はしたくなかったのです(苦笑)
なので⬆︎の地図を見てこの少し上にある「石水院」だけを観て帰ろうと固く心を決めました…(^_^;)

ここへ来るなら午前中からスタートがベストかもしれません。
上まで行ってませんがかなり歩けるお寺ではないでしょうか。
遠くない未来に準備万端整えて(オーバー?)また必ず来たいと思います…(^_^;)









b0301400_12141561.jpg






写真では分からないと思いますが結構な斜面で、しかも道は苔むしています。
手を入れすぎていない裏参道は、苔に覆われた石垣と草木の中を九十九折り(つづらおり・ジグザグに折れ曲がって登る坂道)に登っていきます。30〜40メートルほど登ったところで、もう石水院に到着しちゃいましてなんか拍子抜け (^_^;)

登り始めた雰囲気では、相当登るのかと覚悟してましたから…(笑)

この日たまたま登山靴を履いていったので全く滑りませんでしたけど、こちらはもう山寺ですので登山靴がベストだと思います。

全体的に苔むして水が豊富でキレイな証拠ですよね。
至る所から湧き水が染み出していたり、流れています。
道の途中で偶然ある生物を発見しました!
それがこちらの写真です。







b0301400_12191411.jpg





何だかお分りいただけましたでしょうか?

見つけた生物はこちらです!






b0301400_12193044.jpg






置物じゃないですょ。本物のサワガニです(笑

久し振りに見ましたょ、サワガニ。

油で揚げて塩で食べるサワガニの素揚げは美味しいですよねぇ〜♪







b0301400_12233310.jpg






少し人の手を入れた自然は景観もよく、また自然なままではないので歩き易くなっております。道をつくるって大変なことですもんね。大変な労力だったに違いありません。

えっちら おっちら(古っ)…有り難く登りましたょ (^_^;)

⬇︎裏参道から斜面を上り30〜40メートルくらいでここまで着きます。

見事な石積みの上に低い白壁の向こう側が石水院のようです。







b0301400_12372604.jpg

b0301400_12430066.jpg
b0301400_12424124.jpg
b0301400_12434335.jpg
b0301400_12450813.jpg






道路から少し上に上がっただけなのに、空気が全然違います!
湧き水が豊富なのでマイナスイオンを感じるスゴイ場所です。
自然の化粧水が纏わりつくような感覚ですょ。ほんと空気が美味しい ヽ(;▽;)ノ

心お疲れの方は高山寺はオススメです!

石水院のご紹介の前に、簡単に高山寺の歴史をご紹介したいと思います。

創建は奈良時代に遡るともいわれる古いお寺です。神護寺(じんごじ・真言宗の別格本山)の別院であったのを明恵上人(みょうえじょうにん・鎌倉時代の華厳宗の中興の祖)が後鳥羽上皇より賜り、名を高山寺として再興しました。日本最古の茶園として知られ、デュークエイセスの歌「女ひとり」にも歌詞の中に登場しているそうです。
また、川端康成や白州正子、河合隼雄の著書にも紹介されているそうです。
古来より山岳修行の適地として小寺院が営まれていたようです。
明恵(みょう)は1206年建永元年、34歳の時に後鳥羽上皇から栂尾(とがのお)の地を与えられ「日出先照高山之寺」の額を下賜(かし・天皇などから身分の低い者に物を与えること)され、日出先照高山寺とは、華厳経の中の句で「朝日が昇って真っ先に照らされるのは高い山の頂上だ」という意味であり、そのように光り輝く寺院であれとの意が込められているそうです。高山寺は中世以降、戦乱や火災が原因で消失し、鎌倉時代の建物は石水院を残すのみとなってしまったそうです。





⬇︎Wikipediaより。
b0301400_20281276.jpg




⬇︎ こちらが高山寺の「石水院」の入口門です。






b0301400_13064165.jpg
b0301400_13071053.jpg






こちらの石水院は、創建当時は金堂の東に建てられていたそうです。
唯一の鎌倉時代の建物であった石水院は、残念なことに1228年(安貞2年)の洪水で当時金堂の東にあった石水院は正に石や水に流されてしまったそうです。
こちらの場所には1889年の明治22年に移築され、住宅様式に改変。
名を変え役割を変え場所を変えて残る明恵上人(明恵上人)時代の唯一の遺構なのだそうです。

⬇︎先ほど表側から見えた低い白壁は石水院の中から見るとこんな感じです。







b0301400_13165615.jpg

b0301400_13163667.jpg




⬆︎ 旧石水院。更に上へと登った石段の上にあり荒れ果て廃墟となっています。





b0301400_13205900.jpg
b0301400_13212108.jpg


b0301400_13214469.jpg





⬆︎ こちらが石水院の玄関です。

何処かの木に実っていたものでしょうか。
黄色い柑橘系の実が置いてありましたが何の実かはわかりませんでした。

拝観料は600円です。

明治時代に造られたの?と感じるほど、かなり状態は良くきれいに手入れされてました。







b0301400_13241004.jpg

b0301400_13243870.jpg

b0301400_13251370.jpg
b0301400_13253897.jpg






入り口にはお土産ものなども並べられています。
猫丸も母へのプレゼントで朱印帳を購入しました。
⬆︎こちらのお部屋ではお茶をいただけるようですょ。
茶畑があったので、こちらで摘んだお茶なんでしょう。
確か600円と書いてあったように記憶しておりますが定かではありません(^_^;)
人が少ない時なら落ち着いていいかもしれませんが、人が多い時は見世物になっちゃいませんかね?(^◇^;)

高山寺のお茶の由来は鎌倉初期、栄西禅師が宋に渡り養生の仙薬延命の妙術として茶種を持って帰国し、これを明恵上人に贈られ、上人は栂野(とがのお)の深瀬に三本木に茶種を植え、宇治(跡影園・あしかげえん)や、その他の地にも広く移し植えたのだそうです。栂尾は茶の本園として、天皇への献茶も毎年行われていたそうです。

⬆︎これをこの時知っていれば、お茶飲んで帰ったのにぃ〜 (T ^ T)と残念な気持ちになりました(苦笑)

次回はぜひ飲んで帰りたいと思います。

今ふと、気がついたのですが、こちら石水院の中央の間は室内と外との壁が無かったような…。

雨の日などはどうしているのでしょうか?
それとも扉は別のところに置いてるのでしょうか。
雨戸がないのだとしたら雨ざらしに近い状態ですが、かなりキレイなのが驚きです。








b0301400_13300893.jpg
b0301400_13313484.jpg






⬆︎ 向こう側の部屋に
うっすら見えるあの像は「善財童子・ぜんざいどうじ」の像です。
華厳経(けごんきょう)にその求法の旅が語られる善財童子を明恵は敬愛し善財童子の木像を置いたのだそうです。

善財童子に纏わる話があります。

昔、インドに善財という坊がおり、ある日お釈迦様の弟子の文殊(もんじゅ・智慧を司る仏)様がいらっしゃるというのでお話を聞きに行きました。善財は文殊様に尋ねました「どうしたら私も立派な人になれるのでしょうか」と。すると文殊様、「色々な人を訪ね歩き教えを受けなさい」と。善財は色んな人に出会う旅に出ます。多くの人々と出会ううちに善財はふと気付きました。「どんなにつまらなそうに見える人でも何か一つは立派なものを持っているものだ」と。善財は53人の人々から知恵や経験を学びました。自身の心を磨いた善財は、最後に普賢(ふげん・大乗仏教における崇拝の対象の仏)様のところで悟りを開いたのだそうです。

華厳経の「入法界品」の中での話です。

この話を徳川家康さんは江戸(俗界)から京(普賢菩薩がいる地)まで宿駅を53と定めたそうですょ。それが東海道五十三次なんだそうです。








b0301400_13394077.jpg






おや (・・?)

あれ?

最近、このポーズどこかで見たような…。

今話題のあの方のポーズに似ていませんか(笑)







b0301400_13410823.jpg
b0301400_13420506.jpg






まぁ、人差し指は立てておりませんが、ラグビーの五郎丸さんのポーズにちょっとだけ似てませんか…(笑)

壁の少ない広々とした空間で遊んでいるようです。







b0301400_13382926.jpg
b0301400_13390058.jpg

b0301400_13445120.jpg

b0301400_19512721.jpg



⬆︎石水院の南側に出ると清滝川を越えて向山を望み、視界が一気に開けます。
ここは四季折々の風景が美しいでしょうね。

ひゃあ〜 (・・;)

なんと縁側のすぐ下は崖っぷちではないですか!(怖)





b0301400_13452113.jpg
b0301400_13483376.jpg

b0301400_13481617.jpg






⬆︎こちらは「鳥獣人物戯画」です。

高山寺を代表する宝物で、現状は甲乙丙丁4巻からなるもので、甲巻は擬人化された動物を描き、乙巻は実在、空想上を合わせた動物図譜となっています。丙巻は前半が人間風俗画で、後半が動物戯画、丁巻は勝負事を中心に人物を描いています。甲巻が白眉とされ、動物たちの遊戯を躍動感溢れたタッチで描かれてました。甲乙巻が平安時代後期、丙丁巻は鎌倉時代の制作であると考えられているそうです。この鳥獣人物戯画は、鳥羽僧正覚猷(かくゆう)の筆だと伝えられる一方で、他にも絵仏師 定智や義清阿闍梨などの名前が指摘されているそうです。しかし、いずれも確証はなく作者は不明のようです。ガラスケースの中に入ってますが模本です。本物は東京と京都国立博物館にあるそうです。







b0301400_13104432.jpg
b0301400_13111463.jpg





⬆︎の巻物を右側から順に写したものです。

鳥獣人物戯画(甲巻部分)兎と蛙






b0301400_13114102.jpg
b0301400_13120095.jpg
b0301400_13135991.jpg
b0301400_13142484.jpg
b0301400_13144680.jpg
b0301400_13150697.jpg
b0301400_13153478.jpg
b0301400_13155721.jpg
b0301400_13162143.jpg



⬇︎ こちらは「仏眼仏母像」です。






b0301400_13485623.jpg





こちらの仏眼仏母像(ぶつげんぶつもぞう)もレプリカです。ここにあるものは全てレプリカなのかはわかりませんが…。

仏眼仏母は仏教で崇められる仏だそうです。
千里眼(せんりがん)のように物事の本質を見極める力をもっており、真理を見つめる眼を神格化したものだそうです。仏眼は文字通り仏の眼を意味します。仏母(ぶつも)とは仏の母というのが元々の意味のようですが、悟りの母体とも考えられているようです。本質を見極める仏の眼は、悟りの母体となるもの。
人は真理を見つめて世の理を悟り、仏即ち「目覚めた者」となり、これを真理を見つめる眼が仏を産み、人に真理を見せて仏として生まれ変わらせる宇宙の神性という擬人化した考から、仏母即ち「仏の母」としての仏眼信仰に発展したそうです。

明恵(みょうえ)は自分が見た夢の記憶を19歳の時から約40年間も残しており、その記録の中に仏眼仏母を母御膳(ははごぜん)と呼んでいるそうです。
お母さんのように慕っていたのかもしれませんね。

と、そんな風に思いながらこの記事を書いていると、急にフッと目の前が真っ白になり、意識がボヤけた感じになりました。意識の中で急に泣きたいほど切ない感情が湧いてきます。明恵さんの感情を捉えたのでしょうか。痛烈にお母さんが恋しかったように感じ切なさがこみ上げてきました。

実は、石水院の門の近くまで来た時に、猫丸と友人の間を黒い影がサーっと通って行ったんで、自然界のモノノケかな?ってその時は2人で話していましたが、もしかすると明恵さんだったのでしょうか。




⬇︎こちらは明恵上人の像で樹上坐禅像です。

一人静かに山中の樹上で坐禅。明恵上人は自戒の人であり、生涯女性と交わる事無く過ごしたと伝えられておりますが、明恵を慕う若い尼たちがいて明恵上人は度々欲情に取り憑かれたが、その度に不思議な妨げが入り過ちを犯すこと無く過ごせたそうです。
明恵上人は、釈迦の在世を慕いインドへの渡来を切望していたと伝えられてますが、春日明神の神託(しんたく)により、ついに果たせなかったそうです。
明恵上人の樹上坐禅像は国宝に指定されており、オリジナルは京都国立美術館に寄託されているそうです。







b0301400_13082088.jpg


b0301400_23243103.jpg




b0301400_23251824.jpg






⬇︎ こちらは運慶作の犬だそうです。

学僧とも称される明恵上人は、動物好きだったというエピソードもあるようです。
上人の幼少時に寿永の乱で両親を失った明恵上人。小動物を見ては父母の生まれ変わりではないかと思い、子犬をまたいだ後に振り返って子犬を拝んだという逸話などがあるそうです。

大人になった明恵上人が、座右に置いて愛玩した子犬だとされているようです。
ちょこんと座る姿はとても愛らしいのですが、なんとも上手く写真が撮れない(^_^;)
ガラスケースに入っているので、光ってしまいきちんと写せずこの角度でやっとマシな感じで写りました。








b0301400_13084784.jpg

b0301400_13091858.jpg





⬇︎ こちらは、明恵上人の思想「阿留辺畿夜宇和・あるべきようは」です。

明恵上人の時代は鎌倉時代。古代から中世へと移行した節目の時代。
明恵上人が座右の銘にしていたという「栂尾明恵上人遺訓」には、「人は阿留辺畿夜宇和(あるべきようは)の七文字を持(たも)つべきなり。僧は僧のあるべきよう、俗は俗のあるべきようなり。乃至(ないし)帝王は帝王あるべきよう臣下は臣下のあるべきようなり。このあるべきようを背(そむ)くゆえに一切悪しきなり。」とあります。

明恵上人は最近流行った現代人の「ありのままで」という感覚ではなく、時により事により、その時その場に於いて「あるべきようは何か」と問いています。
自分本位なあるがままではなく、大人の常識「こうあるべき」でもなく、極端な偏りで善と悪や白と黒、田舎と都会などの極端なものではなく、明恵上人が問いかけたのはどちらかに偏らず、違いを認めながら共和する心が大事ではないのか…と人々に問いていたのではないかと感じました。







b0301400_13094304.jpg
b0301400_13100759.jpg





明恵上人は11歳から4年間栂尾の山で修行をし、大いに法力を得たと伝えられております。たった11歳で山で修行の道に入った明恵上人。時代背景が戦乱の中で人々が争う世ならば孤独な修行の方がいいと思ったのでしょうか。

今度は金堂まで行ってみたいと思います。



高山寺

京都市 右京区 梅ヶ畑 栂尾8

拝観時間・8:30〜17:00







さて、石水院を後にて今度は高雄の奥座敷に向かいました。
お昼もだいぶ過ぎていたので清滝川を眼下に望む離れの座敷の「指月亭・しげつてい」でお昼ご飯を食べようと立ち寄ることにしました♪








b0301400_20410124.jpg

b0301400_20415000.jpg


⬆︎この場所から写した景色が⬇︎の写真です。



b0301400_16092536.jpg





こちらも紅葉の名所で先程の栂尾、槙尾、こちらの高雄で三尾(さんび)と呼ばれているエリアのひとつ。指月亭さんは高雄山の神護寺(じんごじ)へ向かう石畳の参道の脇にあります。

到着したのは14時半頃。女性がお一人で切り盛りされているようでした。

食事のメニューは「にしんそば」と「山菜そば」と「定食」のみですというので、
猫丸は山菜そばを、友人は定食を注文し、通された離れの座敷で待ちました。
何だか旅館に来たようで、ものすごくテンションあがります♪
待っている間、窓を開け清滝川の清流の音を楽しみました。
いいですよね♪ 川の流れる音は…。
脳が安らぐα波が出る音霊(おとだま)です。
紅葉の季節はさぞかし素晴しい景色だったでしょうね。








b0301400_20422987.jpg

b0301400_20424469.jpg





⬇︎ 離れの部屋から見た景色です。


b0301400_20452822.jpg
b0301400_20465018.jpg





⬇︎こちらが定食です。

時計回りに温かいお蕎麦、ほうれん草としめじのお浸し、お漬物盛り合わせ、中央には山芋すりおろし、そしてゆかりのかかったご飯です。






b0301400_20474581.jpg





⬇︎こちらは山菜蕎麦です。

スゴイ山菜の量に驚きました!

温めていただくようになっていて、熱々を食べられました。

味もしっかりしていて、とても美味しかったです (^^)






b0301400_20475968.jpg




b0301400_21085945.jpg




離れの部屋を出ると、川へ通じる道がありましたので降りてみることに…。

杖がわりの棒を貸し出してくれていたので、杖をツキツキ下へ降りると外人さんファミリーが川で遊んでおりました ^ ^

なんとこの季節に半袖です!

まぁ、外人さんはこの季節でも半袖で歩いてる方多いですもんね ( ̄▽ ̄)





b0301400_21111675.jpg


⬇︎ 清滝川に架かる高雄橋です。
b0301400_23121108.jpg


b0301400_16060405.jpg

b0301400_16083782.jpg
b0301400_16112626.jpg
b0301400_16115475.jpg




⬇︎ 高雄橋を渡ると古い灯籠がありました。





b0301400_16124512.jpg
b0301400_16131656.jpg
b0301400_16143354.jpg




⬆︎ こちらの灯籠はかなり古そうです。

⬇︎ そして、上に続く階段が… 。




b0301400_16153527.jpg




こんな急な階段、恐ろしい予感しかしません!

今回はここで引き返しました (^_^;)

四季折々に来たい場所です。




アクセスは京都駅からと京都の烏丸からバスが出ているようです。

烏丸からですと「京都産業会館」前から8番が高雄行きだそうです。
1時間に一本しかありませんのでご注意ください。

京都駅からは栂尾山寺までは順調ならば50分、四条大宮からですと40分ほどです。

高山寺から京都方面の運行時刻は⬇︎の写真をご参考ください。







b0301400_12031318.jpg


b0301400_11550630.jpg
b0301400_11553922.jpg
b0301400_11555731.jpg



リフレッシュには最適な場所です。




ほな (=゚ω゚)ノ

by neko_nezumi | 2015-12-26 16:25 | 京都 | Comments(0)


京都・ROHM(ローム)のイルミネーション


今年も行って参りましたぁ、ロームさんのイルミネーションヽ(;▽;)ノ

冬の夜を明るく照らし出すイルミネーションには毎年癒されております♪

西大路五条から一筋西の道を下がると、そこはもう別世界。明るい光の世界です♪

今年のテーマは「光と音楽」だそうで、光と音楽をテーマにデザインを施された電灯がズラリと並んでおりました。






b0301400_15151865.jpg





ローム株式会社の本社の周辺はこの時期になりますと夜は様子がガラリと変わります。
ロームさんが企画されているイルミネーションを実施されており、毎年地域に貢献して戴いております。東日本大震災後は数年間自粛されておられましたが、また再びイルミネーションを鑑賞できることは幸せです。
今年は更にパワーアップしており電球数も増えておりましたょ♪
それでも、全部見て回っても、だいたい30分くらいでしょうか。

場所はローム本社に面した佐井通り(通称・春日通り)沿いの並木道には80万個の電球が点灯されており、京都市内では最大級規模の素晴らしいイルミネーションです。

五条通りと佐井通り沿いの交差点にあるヤマモモの木はシンボルツリーとしてひときわ目を引いていました。今年は光と音楽がテーマ。オルゴール演奏も流れており、素敵な雰囲気をより一層醸し出しておりました♪






b0301400_15152993.jpg

b0301400_15154047.jpg
b0301400_15160479.jpg

b0301400_15155142.jpg
b0301400_15161429.jpg
b0301400_15162839.jpg




通りを歩く道行くご家族や、肩寄せ合うカップルさんが目を輝かせて必ず「キレイ」と声を出す光景が猫丸は好きです。そんな光景を見ているだけで幸せになれるこの瞬間は毎年の猫丸家のイベントです。

ロームさん、イルミネーションを再開してくださって本当に有難うございます
m(_ _)m





b0301400_15234514.jpg

b0301400_15164318.jpg
b0301400_15230575.jpg
b0301400_15244183.jpg
b0301400_15250500.jpg




こちらのイルミネーションのスゴイところは、電球の電力は、自然エネルギーで発電されているそうで「グリーン電力」やエコ活動で削減されたCO2量を差し引く「カーボンオフセット」を利用し環境にも配慮したイルミネーションなんですって!

平日はそれほど混まないので小さなお子様がおられる方は平日がオススメですょ!
土日やクリスマスイブ、当日は人で混み合いますのでご注意ください。


実施期間は12月25日のクリスマスまでです♪

時間は16:45分から22:00まで、土日も点灯するようです。

お車でも通り抜けが出来ますが、オススメは歩いて見て回る方が断然いいです。
バスでお越しの方は「西大路五条」のバス停から3分くらいです。JR京都からですと「西大路花屋町」下車で徒歩5分くらいです。
JR丹波口やJR四西大路駅からですと徒歩15〜18分はかかります。

優しさと癒しの光に包まれるイルミネーション、大切な方々との大切なお時間をロームのイルミネーションを見て過ごして頂きたいと思います。

暖冬とはいえ冬の夜です。暖かくして是非お越しください (^ ^)






ほな(=゚ω゚)ノ

by neko_nezumi | 2015-12-12 16:24 | 京都 | Comments(0)


京都・三条会商店街から二条城周辺をぶらり散歩(夏編)



三条会商店街の中にある和菓子屋さんに今年2度目の若挟屋さんの「ちご餅」を買いに行ったついでに三条会商店街の中のお寿司屋さんでお昼を食べ、そのあとぷらぷらと二条城周辺を散歩してきました。

「ちご餅」は先日に記事にもしましたが、ホント上品な甘さの珍しい創作京菓子です。
お世話になった方にお贈りして喜ばれるお菓子ですょ。




b0301400_11461847.jpg
b0301400_11515043.jpg



「ちご餅」は、京都の祇園祭に因んだ京菓子です。



三條 若挟屋

京都市 中京区 三条通 堀川橋 西町 675

電話 075 841 1381



三条会商店街へ来られることがありましたら、是非立ち寄ってみてください。
ちご餅は店内でも食べられますが、つい先日、家族が京都駅の1階お土産売り場で「ちご餅」を発見したそうです!パッケージも同じだったそうです。ちご餅が京都駅で買えるなら有難いですね。





b0301400_11583035.jpg




そして、こちらが三条会商店街の中にありますお寿司屋さんの「寿し保」さんです。

この日は猛暑で、とんでもなく暑かった中を歩いてきたので喉がカラカラ…(^_^;)

2人で中瓶のビールを半分こして美味しくいただきました ^ ^

こちらには4〜5回来ております。

暑い時、喉がカラカラで呑むビールは格別です!





b0301400_11551417.jpg



⬆︎おつまみに「雲丹豆腐」を注文しました。

ウニのオレンジ色が爽やかな一品。
味は玉子豆腐を少し濃厚にした感じで、ウニと一緒に食べると更に濃厚さが増します。
暑い季節にはツルンと食べれるアッサリした味付けです。


⬇︎ こちらは「鉄火丼」です。

京都らしく綺麗な飾り付けが嬉しいですね、しかもミニバラまで添えられています!

キュウリ、トマト、金魚型に細工切りした人参、レモン、酢蓮根が添えられ、なんと海ぶどうまで添えられていて食べ応え充分な鉄火丼です!

熟成された赤身は旨味が増して美味しくいただきました。





b0301400_11552757.jpg




⬇︎ こちらがバッテラです。

バッテラとは、もともとはポルトガル語で小舟を意味するバッテイラが由来だそうです。明治26年ごろ、大阪順慶町の鮨屋がコノシロの片身を鮨に乗せた形が小舟に似ていることからバッテラと名付けられたそうで、それが次第にシメサバの押し鮨をバッテラとと呼ぶようになったとか…。

サバを酢で〆たものを薄く切った物がすし飯の上に乗っており、昆布がおかれています。





b0301400_11554403.jpg



口当たりよく爽やかなバッテラは、夏に嬉しいお寿司です♪




寿し保

京都市 三条 大宮東

電話 075 841 4108






b0301400_12171150.jpg




腹ごしらえもしたので三条会商店街を出てこの後に上映時間が合ったので二条駅のTOHOシネマズのBiviさんで映画「バケモノの子」を観ました。
この映画はアニメで、人間界とバケモノ界という交わるはずのない2つの世界に生きる少年の話です。最後はとても感動しました!少年の目線で描かれる世界が上手く表現できた映画です。オススメです ^ ^




映画を観終わって、御池通りに出て御池通りを真っ直ぐ二条城方面へ向かいました。この通りは車では何度か通りましたが、実際歩くのは初めてです。途中にこんな立て看板を見つけました。





b0301400_20010110.jpg



看板の下には
石碑がおかれています。

かつてこの場所には「若狭小浜藩邸跡地」だったと示す石碑のようです。




b0301400_12193511.jpg
b0301400_12195752.jpg



若狭小浜藩は三代将軍 徳川家光の時代からは諸代大名の名門、酒井家が藩主として代々治めていたそうです。因みに前藩主は、室町幕府以来の名家、京極家です。
幕末、12代藩主である酒井忠義が京都所司代を2度に渡り任じられ、将軍後に継職であった一橋慶喜が1863年の文久三年12月頃から、この小浜藩邸を宿舎として使用し、こちらから二条城へ登城していたそうです。
ご存知15代将軍 徳川慶喜は最後の将軍です。将軍となった後も小浜藩邸で過ごし、3年10ヶ月後の1867年にようやく二条城の主として移り住みました。実質的にその間は幕府の本拠地として、大政奉還の構想を練っていたようです。こちらにある燈籠は、近所住宅敷地内に残っていた藩邸燈籠をこちらに移動させてきたそうです。福井藩は親藩で御家門筆頭であり、小浜藩は譜代大名の名門で歴代の藩主は、大老、老中たいった要職の家柄です。



現在は「開陽堂」さんという古物商になっております。





b0301400_12221463.jpg

b0301400_12205292.jpg
b0301400_12230518.jpg
b0301400_12233199.jpg



京都は新撰組ゆかりの地。土方歳三(ひじかた としぞう)さんの写真が飾られていました。

土方さんは幕末の幕臣、新選組の副長です。見かけの優しそうな感じとは違い、歴史的には「鬼の副長」と呼ばれ恐れられた人物です。



⬇︎ 古物商からほど近い所にある「コマ専門店」




b0301400_13112741.jpg



b0301400_13080208.jpg




⬆︎ 奥に見える木々が見える場所が二条城です。今回二条城へは行ってませんので画像はありません。

二条城は国の重要文化財であり、世界遺産登録もされているお城です。

日本の歴史書において二条城と呼ばれる城は複数あります。長くなるので割愛しますが、現在の二条城は徳川氏が最後の城主です。

徳川家康の将軍宣下に伴う賀儀と、江戸幕府、最後の将軍であり歴史上征夷征夷大将軍に任じられた徳川慶喜(とくがわよしのぶ)の大政奉還が行われれ、江戸幕府の始まりと終わりの終焉の場所でもあります。






b0301400_13081779.jpg



⬆︎の通りを真っ直ぐ歩いて行き
二条城の通りを右にまっすぐ歩いて1つ目の信号の所に、⬇︎の駄菓子屋さんを発見!!




b0301400_13163992.jpg



店内には沢山の駄菓子が並べられていました。




b0301400_13530558.jpg

b0301400_13532378.jpg
b0301400_13534305.jpg





ふと外に置いてある看板に目をやると、なんでこんな名前を…と不思議に思うような名前が看板に書かれていました…。





b0301400_13171389.jpg



格子家さんの名物「どろぼう」ってなんでしょう?と思っていたら、「どろぼう」してでも食べたいと言われたお菓子(駄菓子)のことでした(^_^;)

「どろぼう」という名のお菓子は、いなり生地を黒砂糖に漬け込んだ駄菓子で、中は柔らかく、外側はカリッとした「かりんとう」のような駄菓子のことだそうです。




画像 格子家さんのホームページより。
b0301400_14154474.jpg
b0301400_14162064.jpg




こちら格子家さんは1912年創業。
その昔、京都には「山幸屋」と書いて「しゃんこや」と呼ばれるお菓子屋さんがあったそうです。「しゃんこ」とは、黒砂糖に漬け込んだ「おこし」のことだそうで、格子家さんは、京都で最後のしゃんこ屋さんなのだそうです。

店先には赤い毛せんが敷かれたイスが置かれており、ここで座って氷や冷たい飲み物ががいただけます!

井戸水で冷やされたラムネ、コーラ、冷やしあめ、ニッキ水が…(((o(*゚▽゚*)o)))

猫丸たちは2人で1つ宇治抹茶の氷を注文して分けて食べました ^ ^

すごく大きいので2人で半分こで充分です。

暑さで笹が枯れちゃってます…^^;




b0301400_13520285.jpg


b0301400_13514961.jpg

b0301400_14255691.jpg



京都は盆地ですので夏はものすごく暑いです。

炎天下の中、歩いて火照った身体をきっちり鎮めてくれました ^ ^

抹茶の味がとても濃くてとても美味しかったです♪

そして、こちらで購入したあんず飴、棒付きで懐かしくてなんだか嬉しい♪

昔、東京の縁日で食べた水飴で包んだ「あんず飴」を思い出しました。

関西の縁日には、あんず飴はないんですよねぇ…。

関西の縁日でも出して欲しいなぁ〜。





b0301400_14251505.jpg




格子家さんのホームページより。
b0301400_14164103.jpg
b0301400_14165198.jpg



格子家さんは、地下鉄 二条城駅を降りてすぐです!





ほな(・ω・)ノ


by neko_nezumi | 2015-08-05 16:03 | 京都 | Comments(0)


京都・1648年から続く薬「無二膏」




老舗のお蕎麦屋さん尾張屋さんにお伺いした時に見つけたお店です。

尾張屋さんの斜め前にあります。



b0301400_11283780.jpg

b0301400_11284979.jpg



玄関前に張り出す暖簾(のれん)に「すい出しの軟膏」と書いてあり、続けて雨森 無二膏(むにこう)と書いてあります。

現代人がこれを見て、すぐさま「薬屋さんだ!」と思われる方は少ないと思います。

無二膏とは、「世に二つとない妙薬」という意味から名付けられた薬のようです。

初代・雨森良意さんというお方が、お灸を据えた際に出来る「かさぶた」には、もしかすると身体の毒素が溜まっていると考え、膿を吸い出す「すい出し」の為に作られた軟膏のようです。腫れ物などの膿を出し、傷跡を残さない薬として愛用されているそうです。切り傷などにも効果が高く、水仕事をされている方にも好評なのだそうですょ。

「無二膏」と名付けられたこの薬は、商品名ならぬ一般名として広く認識されたそうで、明治初期あたりに同名のニセモノの商品が出回ったそうです。
その話は、上方落語などにも登場するそうです。

無二膏のお値段は、一つ1080円だそうです。



b0301400_13261988.jpg

b0301400_13261169.jpg


さて、この雨森家は、近江国で代々医師を生業とした家系で、徳川三代将軍・家光の時代に上洛し、京都御所近くの車屋町に移り住んだ雨森良意さんが、御殿医を勤めながら、民衆の苦しむ腫れ物対策に研究を重ね、苦労の末、この無二膏を生み出したそうです。この時点では無二膏には名前が付いていませんでした。

それが瞬く間に評判が広がり、誰が言うわけではなく「無二膏」という名が付けられたのだとか。その後、民衆の需要の高さにより製造が追いつかなくなり、1648年慶安元年に御殿医を辞職し、無二膏の製造に専念されたそうです。

やがて西洋医学が日本に入ってくるようになると、抗生物質の普及から薬房は幾度も苦戦を強いられてきたそうです。かつて、この辺りは「薬といえば二条」と言われるくらい多くの薬局が点在していたそうですが時代の流れの中、薬房は徐々に消えていったそうです。確かに、近くを散策すると薬局が多く見受けられました。

そんな急激な激動の流れの中、こちらの薬房は生き残り現在も尚、「無二膏を絶やさないで欲しい」と願う人々の想いを受け継いでいるとのことです。


現在、15代目 雨森良和さんがご先祖からの意向を引継ぎ、無二膏を作り続けています。

この無二膏は、腫れ物、切り傷、あかぎれ、ひび割れ、さかむけなどに効果があるそうです。

無二膏は軟膏ではないので、少し固いのだそうです。
なので、少し缶ごと火で炙り、柔らかくしたものを楊枝(ようじ)ですくい取り、傷口に埋め込むように擦り付けるそうです。

湿疹には「透肌膏」というものもあるそうです。

この透肌膏は、かさぶた、やけど、できもの、切り傷、痔、しもやけ、に効くのだとか。

無二膏は、独特の刺激臭があるそうです。火で炙ると、匂いは部屋に立ち込めるほどだそうです。

無二膏の成分は、ごま油、鉛丹(えんたん)、ダイオウ、オウギ、ジオウ、オウバク、サンシシ、センキュウ、オウレン、トウキ、シャクヤク、モウコウ、ゲンジン、オウゴン、白正。


天然由来なのでしょうけれど、鉛丹は鉛ですけど身体にどうなのでしょうか?




雨森さんとはまったく関係ありませんが、すぐ近くにはこんな看板も。

色がキレイだったので、ついパチリ…( ̄▽ ̄)



b0301400_11290151.jpg




製造販売元

雨森敬太郎薬房

京都市 中京区 車屋町 二条下る 仁王門 突抜町 307-1

電話 075 231 2848




ほな(=゚ω゚)ノ

by neko_nezumi | 2015-06-12 13:01 | 京都 | Comments(0)


京都・日本で唯一髪の毛にご利益のある神社・御髪(みかみ)神社


世の中には色々な神社があるものです。

先日夜中のテレビ「月曜から夜ふかし」という番組で、色んな神社の特集をしておりまして、その中に日本で唯一髪の毛にご利益のある神社があったと知り驚きました!


b0301400_03104119.jpg


しかも京都の嵐山にあったんですねぇ。猫丸も知りませんでした。

髪でお悩みのある方、そして髪に携わるお仕事の方々の聖地となっている御髪(みかみ)神社をご紹介致します。

こちらの神社は、京都市の理美容業界関係者によって髪の毛の健康を祈願し1961年に建立されたそうです。


b0301400_03151608.jpg
b0301400_03152656.jpg

b0301400_03153759.jpg

ご祭神に、藤原の采女の亮正之(ふじわらのうねめのすけまさゆき)公という、鎌倉時代の人物が祀られております。この藤原の采女の亮正之公という方は、髪結い職の起源といわれているお方のようです。

1259〜1274年の亀山天皇の皇居の宝物護衛にあたっていた政之の父である基晴(もとはる)が預かっていた宝刀の「九王丸」を失くし、責任を感じた父は、その供に三男の政之を連れて宝刀を探し諸国行脚の旅に出たそうです。当時の日本は蒙古軍(もうこぐん)の襲来に備え、下関に大勢の武士を配置していたそうです。父は失った宝刀が見つかるかも知れないと思い、親子はこの地に居ることに決め、政之が生計を立てる為に始めた仕事が「髪結い」だったそうです。

そして、これが日本初の理容業だと言い伝えられているそうです。

政之の髪結いは巷で評判が良く、下関では髪結所を設けられるほどの腕前だったそうで、その噂は幕府にも伝わり、1335年に亡くなるまで幕府御用達の髪結師として活躍されたそうです。

また、この御髪神社の境内には、髪塚と呼ばれる石塚があり、願い事をしながら切った髪の毛を納めるとご利益がある…と伝えられています。


b0301400_03111876.jpg

なけなし…って…(^_^;)


b0301400_03112887.jpg


この日、番組のスタッフさん?は朝が早かったのでしょうか。
暫く誰も参詣に訪れる人もなく…1人ポツンと輝きながら拝んでおりました(^◇^;)



b0301400_03164994.jpg
b0301400_03165846.jpg
b0301400_03170719.jpg
b0301400_03171658.jpg
b0301400_03172675.jpg
b0301400_03173405.jpg


毛根(もうこん)なになっちゃって!なんて言う前に、お詣りした方がいいかもしれませんねぇ…(^_^;)

納められた髪の毛は神官により祈拝されるんだそうです。

毎年の御大祭日には、髪の毛への感謝の意を込めて業祖神奉祭が行われるそうです。
この日は、理美容業界のみならず、髪への切実な悩み改善のご利益を求める方々が参詣されるのだそうです。

昔の育毛剤のCMで「髪は長い友達」なんて言ってましたからね、髪が少なくなりつつある方にとれば、少しでも長く居て欲しいものです。

遠方からわざわざ参詣しにくるほどですから、ご利益あって欲しいですよね!

また、神社の境内には、つげ櫛(くし)の形をした絵馬が奉納されており、全国の髪に関するお悩みのある方々の切実なる想いが綴られております。


b0301400_03113805.jpg
b0301400_03132321.jpg
b0301400_03133254.jpg

ご本人方は至って真剣な筈ですが、なぜか笑っちゃいますよね!


b0301400_03134181.jpg

⬆︎ここまでくると、なんだか怖いです…(・_・;


他には「髪の病気が治りますように」「美容師になれますように」などの願いが書き連ねてあります。

人は見かけではないといいつつ、それでも本人にとれば髪の悩みは切実です…。

また、髪は頭を守るもの…とのことから、頭がよくなるようにとの願いなどもあるそうです。なので受験を控えた方々も多く参られるそうです。

こちらは百人一首の和歌が詠まれたことでも有名な小倉山の麓にある神社です。


薄毛の方が髪髪(フサフサ)になりますように…。





御髪神社

住所 京都市 右京区 嵯峨 小倉山 田淵 山町

電話 075 882 9771

社受付 10:00〜15:00

アクセス 嵯峨観光鉄道「トロッコ嵐山」駅下車すぐ。
京福電車嵐山線 「嵐山」下車 徒歩8分

JR山陰本線 「嵯峨嵐山」下車 徒歩15分

阪急嵐山線 「嵐山」下車 徒歩 約20分



ほな(・Д・)ノ

by neko_nezumi | 2015-01-14 03:33 | 京都 | Comments(0)


京都・妖怪ストリートにある七味屋「長文屋」とその周辺


京都北区に大将軍商店街がある一条通りを2005年から「妖怪ストリート」と名付けて活気溢れる妖怪ストリートとして頑張っている商店街をご紹介します!


b0301400_22141989.jpg


実は既に一度記事にしておりますが、先日 友人とあるものを目的に妖怪ストリートへ行ってきまして、新しく出来ていた店舗もありましたので再度記事にさせて頂きます。
今回は商店街の所々だけですので、前にアップした記事の方が商店街の雰囲気が感じられると思います。「猫丸ブログ 京都妖怪ストリート」で検索すると出てきます。

今回の目的とは「七味」なんです!

これからご紹介する長文屋さんの七味を一年前に購入しましたところ、何とまぁ香り高く本当に何にかけても美味しくて、すっかり大ファンになってしまったのです。
ところが、なかなか買いに行く機会がなく1年も経ってしまった訳です (^_^;)

友人が遊びに来るこの機会にと、妖怪ストリートの案内も兼ねて出掛けてきました ^ ^



b0301400_21241902.jpg
b0301400_21240411.jpg

好みや量を伝えると、店主さんがその場でブレンドしてくれます。


b0301400_21225925.jpg
b0301400_21235082.jpg


そもそも、七味の起源ってご存知でしょうか?

日本国に七味唐辛子の老舗は全国に三軒あったそうです。

一つは東京 浅草の「やげん堀・中島商店」さん。二つ目は、こちら京都 清水の「七味家本舗」さん、そして三つ目が長野市 善光寺の「八幡屋磯五郎」さん、なんだそうです。

それぞれの店の工夫があり、それぞれの材料の中身も違っていたようです。

東京・中島商店さんは唐辛子の生と焼いたもの、また陳皮などを加えた唐辛子が主体の七味だったそうで、京都・七味屋本舗さんは、唐辛子よりも、青海苔や紫蘇など香りの高いものを多く使用していたようです。長野・八幡屋磯五郎さんは、辛みや香りのバランスを成立させた七味に仕上げていたようです。
その土地の風土からも使用される原料は違ったかもしれません。

七味は日本の代表的スパイスですもんね。
七味を知らない大人は余りいないと思います。

昔はきっちり七つの味のブレンドだったそうですが、現代では店によりけりのようです。
七味の話が出てくるのは江戸時代だそうでして、当初は漢方薬としての用途を、何とか食に利用できないかと考案されたもののようです。

健康を維持する上で欠かせない、身体に優しい生薬を乾燥させたものですから、七味は免疫力をあげる、または滋養強壮としてご使用になられると良いと思います。

長文屋さんの七味のブレンドの中身はと申しますと…。
下の画像がその中身の種類です。



b0301400_21243602.jpg
b0301400_21245767.jpg
b0301400_21251007.jpg
b0301400_21252448.jpg
b0301400_21254127.jpg
b0301400_21260071.jpg
b0301400_22011960.jpg
b0301400_22013313.jpg


長文屋さんでのブレンドは、唐辛子、山椒、芥子、麻の実、青海苔、胡麻、紫蘇の正統派の七味です。京都伝統ブレンドですね。

匙売り(さじうり)の絶妙な匙加減を伝え、現在の店主で三代目だそうです。
伝統を守り、全て手作業で好みに応じていただけます。

新鮮さは、店内へ入ると直ぐに分かります。
七味の良い香りが漂っておりますから…^ ^

地方発送もしておりますので、一度ご賞味くださいませ。オススメです。

友人も購入して帰りましたが、友人も友人のご家族にも大変好評でした。

こちらの七味は香り高いので、どちらかといえば蕎麦よりもうどんの方が引き立つように思います。




長文屋 七味

京都市 北区 北野下白梅町54-8

電話・FAX 075 467 0217

営業時間 10:00〜18:00

定休日 水、木曜日。




妖怪ストリートは一年前に来た以来でしたが、一軒だけ新しいお店が出来ておりました。

それがコチラのお漬物屋さん「きたの」さんです。



b0301400_22195500.jpg
b0301400_22321644.jpg


店内には旬の千枚漬けや赤カブ、すぐきなどのお漬物でいっぱいでした。

友人は幾つか購入しておりましたが、猫丸は冷蔵庫が一杯なので断念…(^_^;)



b0301400_22323352.jpg

そして、前回来た時に閉まっていた喫茶店が開いていたので一休みすることに ♪

それが、こちらの喫茶店「アイゼン」さん。


b0301400_22352776.jpg

b0301400_22362096.jpg

店内は木の温もりを感じる内装。昔懐かしい雰囲気が堪らなく温かい。
店主さんは年配の女性の方がお一人でされておりました。


b0301400_22365594.jpg
b0301400_22372694.jpg


店内には既に常連さんらしき方が2名。

みなさま かなりお年を召された方でして、目があった瞬間、なんと会釈をしてくださいました。このお客様は女性の方ですが、お帰りの時にもご挨拶して頂きました。

なんと素敵なことでしょうか。ありがとうございます ^ ^

一昔前は知らぬ同士でも挨拶を交わすことは結構ありましたが、最近はあまりない事です。こういう感覚は忘れてはなりませんね。

店主さんのお人柄が、素敵な方々を呼ばれるのですね ♪

なんだか 嬉しくなってしまいました ♪

猫丸たちは2人とも珈琲を注文し暫し待つと、出されたコーヒーカップは手作りのコーヒーカップでしょうか。


b0301400_22363408.jpg

店名のアイゼンの文字を平仮名で書いたカップです。

沢山お作りになられたようで、棚にいっぱいでした ^ ^

可愛らしくて素敵です♪

珈琲はとても飲みやすいホテルの珈琲のよう。

とても美味しかったです ^ ^

本当に居心地の良い、とても柔らかな雰囲気の喫茶店でした。

妖怪ストリートへお出掛けされた時は、是非アイゼンさんにお立ち寄りください。

お勧めの喫茶店です ^ ^


喫茶店 アイゼン

住所 京都市 上京区 一条紙屋川東入北西角

電話 075 462 2090


ここからは、町並みを少しだけご紹介。


b0301400_14334061.jpg
b0301400_14332091.jpg

こちらにも、七味屋さんがありました。


b0301400_14345359.jpg
b0301400_14340695.jpg
b0301400_14342497.jpg
b0301400_14351024.jpg
b0301400_14324571.jpg
b0301400_14325932.jpg
b0301400_14320217.jpg
b0301400_14322746.jpg



この日はシャッターの閉まっているお店が多かったので、写真は余り写せませんでした。
スーパーはお財布を一度出せば済むので断然便利ですけど、日本文化である商店街は無くなってほしくありません。

猫丸は新しい土地へ行くと、必ずその土地の文化が分かる商店街に出掛けます。

その土地ならではの野菜やくだもの、特に和菓子はその土地の歴史が残るものです。

また、調味料もその土地ならではの文化が分かるひとつのものです。

商店街散策は、とても楽しいものです。皆さまも是非お出掛けください。




ほな(・ω・)ノ

by neko_nezumi | 2015-01-06 14:48 | 京都 | Comments(0)


2014年・京都・東寺・終い弘法市


2014年12月21日 日曜日の東寺の弘法市にいって参りました。

今回で3度目となる弘法さんです。今年は天気も良く日中は比較的暖かく絶好の弘法市日和でした ^ ^

今回も多数の露店が並び大勢の人で賑わっておりました。

東寺の周辺にもちょこちょこお店が出店されていますので、東寺の周りも見逃せません。

もともと「縁日:えんにち」とは、神仏がこの世との「縁」を持つ日だとされ、この日に参詣すれば大きな福禄があるとされ、東寺では空海入寂の3月21日を記念して毎月21日に「御影堂」で行われる御影供のことを指しているんだそうです。

当初は年に一度の縁日でしたが、1239年以降には毎月行われるようになったそうですから、随分と長い歴史があり、当時もフリーマーケットのようなこともしていたのでしょうか。また、参詣に訪れる人が増えるようになると「一服一銭」の茶店が出店されてから、江戸時代になると植木屋さんなども出てくるようになったことから、これが弘法市の始まりだとされているようです。

毎月21日の朝5時から、こちら東寺では弘法市が開催されておりますが、毎月の弘法市は、終い弘法市とは違い小規模で、主に骨董がメインです。
思わぬ掘り出し物を見つけられたらラッキーですね ^ ^
骨董好きでなくても、その雰囲気を味わうだけでも楽しいですょ♪

では、2014年の弘法市をお楽しみ下さい。
弘法市の記事は雰囲気を知っていただけるよう写真がメインです。
詳細な店舗紹介はしておりませんのでご了承ください。


b0301400_12545625.jpg

b0301400_12594505.jpg

まだ東寺の正門の手前です。


b0301400_13002579.jpg


⬇︎ここが正門の入口です。



b0301400_13022955.jpg
b0301400_13044828.jpg
b0301400_13035127.jpg
b0301400_13040732.jpg
b0301400_13042025.jpg

b0301400_13055934.jpg
b0301400_13061373.jpg
b0301400_13062827.jpg
b0301400_13064832.jpg

b0301400_13074603.jpg

こちらのバッグや服に描かれた絵は、印刷ではなく手描きなんですょ!

生地は帆船の帆に使う帆布(はんぷ)という布でかなり丈夫な布です。

猫丸は⬇︎のバッグ¥3500を購入しました。

表には二つに仕切られたポケットもついてかなり便利です。


b0301400_13075992.jpg
b0301400_13081042.jpg
b0301400_13082159.jpg

b0301400_13140696.jpg
b0301400_13143696.jpg

⬆︎関西では余り見かけない「カルメ焼き」です。
軽目焼きともいいまして、駄菓子です。砂糖を溶かして重曹で膨らませるサクサクした砂糖菓子で、猫丸も小さい頃によく食べました ^ ^
懐かしいです。


b0301400_13181868.jpg

⬆︎ フェルトで作られた手作りの小物やアクセサリー。人がいっぱいで団体の外人さんが日本語で「かわいい!」と叫んでましたょ ^ ^


b0301400_13183410.jpg

b0301400_13220537.jpg
b0301400_13222163.jpg

⬆︎「わらび餅」


b0301400_13232485.jpg

⬆︎ 奈良の柿。スライスしたドライ柿も販売。
スライスドライ柿は本当に美味しいですょ!
奈良へ行くと大量に購入してきます。


b0301400_13233541.jpg

b0301400_13264802.jpg
b0301400_13273692.jpg
b0301400_13313861.jpg

⬆︎本物のみりんと酒粕のお店。


b0301400_13315702.jpg
b0301400_13331898.jpg


竹で造られた「トンボ」秋に植木なんかにつけておくと風情がありますよね。


b0301400_13335529.jpg
b0301400_13355547.jpg


弘法市で3年連続食べている「五平餅」です♪

こちらの五平餅は平べったくなく、四角い感じです。

焼きたてはとても美味しいですょ ^ ^

昨年は買って帰ると固くなっていたので、トースターで焼いて食べたら美味しかったですょ。



b0301400_13361836.jpg
b0301400_13422467.jpg
b0301400_13425345.jpg
b0301400_13443750.jpg

沖縄伝統の焼物。


b0301400_13445067.jpg
b0301400_13452028.jpg
b0301400_13471806.jpg
b0301400_13474129.jpg
b0301400_13480560.jpg
b0301400_13483285.jpg
b0301400_13485545.jpg
b0301400_13491528.jpg
b0301400_13494467.jpg

⬆︎ 藍染屋さん。ワンコの服も売ってました。普通のTシャツで3000円でした。
藍染は虫除け効果が高いですので、夏にピッタリですね!


b0301400_13520053.jpg

昨年もかなり悩んで買わなかった干支の置物と一輪挿し。
かなり可愛いのですが、一つ買うと毎年 干支分買いたくなると思い置き場所を考えて断念しました(^_^;)


b0301400_13555091.jpg
b0301400_13562672.jpg
b0301400_13564483.jpg

b0301400_13572278.jpg
b0301400_13574580.jpg
b0301400_13580369.jpg
b0301400_13582547.jpg
b0301400_13590952.jpg
b0301400_13593206.jpg
b0301400_14000111.jpg

⬆︎ 毎年出店されている「酒まんじゅう」屋さん。

今年は売れ行きが早かったようです。


b0301400_14014140.jpg
b0301400_14020600.jpg
b0301400_14022633.jpg
b0301400_14024814.jpg
b0301400_14031296.jpg
⬆︎「干し柿」


b0301400_14035699.jpg
b0301400_14041709.jpg
b0301400_14044183.jpg
b0301400_14051249.jpg
b0301400_14055649.jpg
こちらは「東寺 鎮守八幡宮」です。

九州から大軍を率いて上洛した足利尊氏は、北朝の光厳上皇を奉じて東寺に入りここを本陣としたそうです。京都を奪回すべく入京した南朝の新田義貞と六条大宮より鏑矢(かぶらや:)が新田勢めがけて飛び、敵軍は退散。尊氏の武運が開けたそうです。
この日、護摩供養(ごまくよう)が行われておりました。

b0301400_14062186.jpg
b0301400_14152156.jpg

護摩供養とは、炉の中に護摩木を焚いて弘法大師さんの供養をしていたものが、現在は無病息災や招福などの目的で行います。
護摩の言語は、サンスクリット語のホーマの音写です。
その根元は古代インドのヴェーダ宗教からでバラモンの公的儀式のことで、毎日行う火の儀式のことです。火の浄化で、人間の煩悩(ぼんのう)や業(ごう)を焼き払う内護摩もあるそうです。

b0301400_14150870.jpg
b0301400_14260138.jpg
b0301400_14253570.jpg
b0301400_14262722.jpg
b0301400_14265174.jpg
b0301400_14271293.jpg
b0301400_14274227.jpg
b0301400_14281576.jpg
b0301400_14275724.jpg
b0301400_14285007.jpg
b0301400_14291187.jpg
b0301400_14292863.jpg
b0301400_14294698.jpg

⬆︎毛筆が2〜3割安く売っております。


b0301400_14301055.jpg
b0301400_14320187.jpg
b0301400_14321372.jpg
b0301400_14322666.jpg
b0301400_14323886.jpg
b0301400_14331828.jpg
b0301400_14335407.jpg
b0301400_14340999.jpg
b0301400_14342755.jpg
b0301400_14345986.jpg
b0301400_14351156.jpg

⬆︎イカナゴの佃煮


b0301400_14352490.jpg
b0301400_14353739.jpg
b0301400_14364134.jpg

⬆︎ 毎年売られている「いわし丸干し」試食ができます。


b0301400_14381383.jpg
b0301400_14383825.jpg
b0301400_14385759.jpg
b0301400_14393827.jpg
b0301400_14395007.jpg
b0301400_14400086.jpg
b0301400_14402787.jpg
b0301400_14420197.jpg
b0301400_14421124.jpg


⬇︎こちらが東寺の「御影堂」です。

弘法大師空海の住房だったところです。弘法大師空海が生きていた頃と同じように、毎朝6時に生身供(じょうじんく)が始まります。読経最後には弘法大師空海が持ち帰った「仏舎利:釈迦が荼毘に付された際の遺骨、灰塵」を法会の参加者の頭と両手にかざして貰えるそうです。


b0301400_14422495.jpg
b0301400_14423315.jpg

b0301400_15000181.jpg
b0301400_14564645.jpg
b0301400_14582000.jpg
b0301400_14585332.jpg
b0301400_14591029.jpg
b0301400_15004601.jpg
b0301400_15005998.jpg
b0301400_15011204.jpg
b0301400_15015119.jpg


こちらのバッグは息子さんが競馬関連の道具の職人さんというお父さんが手掛けた
帆布と珍しい馬の皮で造られたショルダーバッグです。

馬の皮は初めて手に取りましたが、なんとも滑らかな柔らかい皮でした。



b0301400_15020385.jpg
b0301400_15023247.jpg
b0301400_15025470.jpg
b0301400_15074137.jpg
b0301400_16060968.jpg
b0301400_16062031.jpg
b0301400_16063027.jpg
b0301400_15080226.jpg
b0301400_15081241.jpg
b0301400_15084436.jpg


葉牡丹でつくられたリースとか可愛いかったですょ ^ ^


b0301400_15085526.jpg


東寺を出た裏手に、こちら「弘法大師の地盤」と書かれた「石上神社」がありました。



b0301400_15210095.jpg
b0301400_15213267.jpg



弘法大師の生母の阿刀家の祭壇とされる石上神社。

ここはかつての真言宗の政所であり、東寺の執行家の所在場所だったそうです。

東寺執行家は、弘仁14年から明治4年までの1048年間続いたそうです。

そして真言宗政所宰主は阿刀家で、弘法大師の母方の里家です。

とても小さな境内ですが、石上布留社があります。

石上布留社はニギハヤヒの幼名です。空海との関わりがあったのでしょうか。



b0301400_15214250.jpg
b0301400_15222999.jpg

b0301400_15111016.jpg


弘法大師の地盤(おじば)。ナミキリ不動明王の祠。


b0301400_15111913.jpg


b0301400_15233060.jpg
b0301400_15233949.jpg
b0301400_15235080.jpg



奥には小さな祠が三つありました。



b0301400_15240461.jpg
b0301400_15254612.jpg

いにしえからの神社の形は変わっても、人知れず残されたこのような小さな神社には
結構な頻度で封じられた物の怪が棲みついていたりするんですょ。

ここは東寺の東北の隅。鬼門に当たる場所ですからねぇ…。



b0301400_16095519.jpg

一昔前「ハイカラさんが通る」という漫画でよく知られるようになった袴にブーツが
、現在は着物にブーツという風に変わっています。
弘法市ではこのような出で立ちで市を愉しむお若い方が増えております。

アンティーク着物を着る若い方が増え、独創的な着方でお洒落を楽しんでいる姿を見れるのも楽しいものです。





過去2年間、弘法市でわんさか品物を買いまくっておりましたが、今年は何故かトートバッグだけで家族へのおみやげを買っていなかったことに気づきました (^_^;)
引き返して買いに行く体力も尽きていたので、東寺の北門を出て直ぐの所でクッキーを販売していたこちらでクッキーを買って帰りました ^ ^


b0301400_15495919.jpg
b0301400_15500893.jpg
b0301400_15501749.jpg
b0301400_15502642.jpg


さぁ、2014年の弘法市は如何でしたでしょうか。

全部を写しきれないほどの出店数ですから、見応えバッチリな年末の東寺の弘法市に
是非来年お出かけください。





ほな(・Д・)ノ


by neko_nezumi | 2014-12-25 16:22 | 京都 | Comments(0)


京都・八坂神社


b0301400_23123012.jpg
b0301400_23125654.jpg
b0301400_11474847.jpg
b0301400_11481030.jpg

b0301400_11485615.jpg
b0301400_11491140.jpg


こちら八坂神社さんは、全国にあります八坂神社や素戔嗚尊(すさのおのみこと)を
祭神とする2300ある神社の総本社であります。

西楼門(にしろうもん)は八坂神社の境内西端に位置しており四条通と東大路の「祇園交差点」に面しており、かなり目立っております。室町時代後半1497年に造られた、三問一戸楼門、切妻造、本瓦葺きの門で国の重要文化財に指定されております。

八坂神社は通称 祇園(ぎおん)さんとも呼ばれ、地元の人々から遠方の観光客にまで広く親しまれている神社です。祇園祭りとは、こちらの神社のお祭りでありまして、7月から1ヶ月間行われる長いお祭りは全国的にも有名です。

境内東側は「しだれ桜」が有名な円山公園があります。

お正月などの三が日は、とにかくもの凄い人でいっぱいです!
歩けなくなるほどで、近年は100万人も訪れているそうで伏見稲荷大社に次ぐ参拝者数だそうですょ!

こちら八坂神社は普段から夜間でも参拝することのできる神社です。



b0301400_13145756.jpg


主祭神は素戔嗚尊、東御座は 櫛名田姫命(くしなだひめのみこと)西御座は 八柱御子神(やはしらのまこがみ)素戔嗚尊の8人の子供、八島篠見神、五十猛神、大屋比売神、抓津比売神、大年神、宇迦之御魂神、大屋毘古神、須勢理毘売命。

配神は、東御座に同座の神大市比売命、佐美良比売命、いずれも素戔嗚尊の妻。
西御座に御座はに稲田宮主須賀之八耳神。

延長4年926年、ある修行僧が祇園天神堂を建てる。

承平4年934年、祇園感神院を建てる。

平安時代中期ごろより地域の産土神(うぶすなしん)として信仰され、また朝廷からも篤(あつ)い崇敬を受けたそうです。

祇園祭は貞観(じょうがん)11年869年に各地で疫病が流行した際に神泉苑(しんせんえん:中京区にある東寺真言宗の寺院)で行われた御霊会(ごりょうえ:祟りを防ぐ為の鎮魂の為の儀礼)を起源とするもので、天禄元年970年頃から八坂神社の祭礼として毎年行われるようになったということです。


この日は2014年12月6日ですが、年末年始ほどじゃありませんが屋台が幾つか出ておりました。



b0301400_11530725.jpg


1月1日には、白朮歳(おけらさい:をけらさい)午前5時から1年の安泰を祈る神事が行われます。

本殿前に落とされた「おけら火」から火縄に火を移し、境内に設けられた「白朮火授与所」で灯篭に移され「おけら木」を燃やし続けるそうです。
こちらでは、参拝者の願意が書かれた白木の「をけら木」が大晦日午後7時すぎから元旦早朝まで焚かれるそうです。
境内三カ所の「をけら灯篭」の火を竹でできた火縄に受けて帰り、無病息災を願って神棚のロウソクな火を付けたり、火を火縄に移し持ち帰ることが出来ます。
燃え残った火縄は「火伏せのお守り」として台所に祀るそうです。
これを「をけら参り:をけら詣り」と言うそうです。

祇園社は当初は興福寺の配下であったそうですが、10世紀末の戦争により延暦寺がその末寺としたようです。

1070年には、祇園社は鴨川の西岸の広大な地域を「境内」として認められ、朝廷からの不入権を承認されました。

嘉禄(かろく)3年 1227年延暦寺は法然(ほうねん:浄土宗の開祖と仰がれた僧侶)の墓所を感神院の犬神人(いぬじにん:大社に従属した下級神官で境内や御幸路の清掃などに従事)に申し付けて破却(はきゃく:こわすこと)したそうです。

1384年、足利義満(あしかがよしみつ:室町幕府第三代将軍)は、祇園社。比叡山から独立させました。しかしそれは祇園社が幕府配下となった訳ではなく、以降 祇園歳は経済的に力を付けた京の町衆により行われるものとなり、現在に至っているそうです。

慶応4年(9月8日に1月1日に遡(さかのぼ)って明治元年に改元)の神仏混交禁止により、「感神院祇園社」から「八坂神社」と改めたそうです。



こちらは疫神社で祭神は「蘇民将来命:そみんしょうらいのみこと」です。

b0301400_13115711.jpg
b0301400_13143479.jpg

蘇民将来とは日本各地に伝わる説話、又はそれを起源とする民間信仰のことです。
「蘇民将来」と記した護符は、日本各地の国津神系の神(主に素戔嗚スサノオ)を祀る神社で授与されており、災厄を払い福を招く神として信仰されています。
岩手県南部では、例年この説話を元にした盛大な蘇民祭りが行わわれているそうです。

説話

旅の途中で宿を乞うた無塔神(むとうしん)を裕福な弟の将来(備後国風土記では或本作巨旦将来也とあり、巨旦将来(こんたんしょうらい)と表記、今金神のこととされる)はそれを断り、貧しい兄、蘇民将来は粗末ながらもてなしたそうです。
後に再訪した無塔神は、弟の将来の妻となっていた蘇民の娘に茅(かや:草の総称)の輪を付けさせ、それを目印にして娘を除く、弟の将来一族を滅ぼしたそうです。
武塔神はみずから速須佐雄能神(スサノオ)と自分の正体を名乗り、以後は茅の
輪を付けていれば疫病を避けることができると伝わったそうです。
因みに蘇民将来の起源は今以って分かっていません。
密教の「武塔天神王」による説と、尚武な神という意味で「タケタフカミ(武勝神)」という説があります。



b0301400_12370629.jpg



こちらは「太田社」

b0301400_13151116.jpg

太田社(おおたしゃ)とは、八坂神社の末社です。
祭神は「猿田彦神:さるたひこのかみ」「天鈿女命:アマノウズメノミコト」です。

猿田彦神は、天孫(てんそん)降臨に際して日神(にちじん)の使いとして先導の役割を果たした「導きの神」とされています。
天鈿女命は天照大神(アマテラスオオミカミ)の天の岩戸隠れの時に岩戸の前で神楽(かぐら)を舞った神で、天孫降臨にお供して猿田彦神と共に導きを行ったそうです。
宮廷神楽を奉仕した猿女君の遠い祖(先祖)であり、芸能の神として信仰されています。


b0301400_13304183.jpg
b0301400_13152618.jpg
b0301400_13305722.jpg
b0301400_13315170.jpg
b0301400_13421922.jpg
b0301400_13424117.jpg
b0301400_13431399.jpg


こちらは北向蛭子社(きたむきえびすしゃ)です。


b0301400_13433880.jpg


北向蛭子社は、八坂神社の末社です。
社殿は江戸時代前期の天保3年、1646年に建立されたもので国の重要文化財に指定されております。建物は桁行三間、梁間三間、流造り、両側面(東西面)及び背面(南面)一間通り庇(ひさし)付きでこけら葺きとなっています。1998年には、こけら葺き替えと塗り替えが行われました。

北向蛭子の祭神は、事代主神(ことしろぬしかみ)で、一般には恵比寿(えびす)神
と呼ばれ、福の神、商売繁盛の神とされております。
事代主神は大国主の御子神で、八坂神社の本殿に祀られる主祭神である素戔嗚尊(スサノオのミコト)の孫神に当たるそうです。

1月9日と10日には「初恵比寿:初エビス」の例祭が行われます。




こちらは「大国主社:おおくにぬししゃ」です。

b0301400_13435548.jpg

b0301400_14122423.jpg
b0301400_14113785.jpg
b0301400_14115257.jpg
b0301400_14130175.jpg

大国主社は、八坂神社の末社です。

本殿南西側にあります祭神は「大国主命:おおくにぬしのみこと」「少彦名命:すくなひこのみこと」です。
大国主命は、大己貴命(おおなむちのかみ)や八千矛神(やちほこのかみ)などの多くの別名があり、本殿に祀られる素戔嗚尊の神子とも6代の孫とも伝えられているそうです。出雲の神で俗に「大黒(だいこく)さん」と呼ばれる福の神、縁結びの神として知られています。

事代主命は、大国主命の神子です。少彦名命は、医薬の神様で大国主命と共に国造りを行った神とされています。




こちらは八坂神社中央に位置する御札・お守り授与所です。

郵送で送ってもらえるそうですので、詳しくはお尋ねください。


b0301400_14180798.jpg



こちらは舞殿(まいどの)です。

舞殿とは神社の境内に設けた舞楽を行う建物のことです。
神楽殿(かぐらでん)とも呼ばれています。

本殿の南にあり、舞の奉納など様々な催しに使用されます。
祇園祭りの時には、三基の神輿(みこし)が安置されます。沢山の提灯は、祇園のお茶屋や料亭から寄進されたものがほとんどなのだそうですょ。
八坂神社に対する信仰の厚さを示すものの一つです。


b0301400_14434671.jpg
b0301400_21032932.jpg


こちらが八坂神社本殿となりなります。

b0301400_14521360.jpg
b0301400_14525173.jpg
b0301400_14534121.jpg

たまたまお賽銭の回収をしておりました…(^_^;)

本殿(ほんでん)は、江戸時代前期 承応3年1654年に建立されました。
国の重要文化財に指定されています。
桁行七間、梁間六間、入母屋造、槍皮葺、建面積662平方メートル、軒面積1095平方メートル、屋根面積1320平方メートルとなっております。

この本殿の建築様式は「祇園造り」と呼ばれる特殊な造りだそうです。

ご祈願は、厄除け、安産、帯祝い、初宮詣り、祝寿、交通安全、心身健康、病気平癒、家内安全、心願成就、縁結びなどです。


b0301400_15024339.jpg
b0301400_15031930.jpg
b0301400_15034020.jpg

b0301400_15040875.jpg


こちらは、「大神宮社:だいじんぐうしゃ」です。

b0301400_15043399.jpg


こちらは伊勢の神宮の天照大御神(内宮)と豊受大神(とようけのおおかみ)(外宮)
が祀られております。
天照大御神は皇室の祖神で素戔嗚尊の姉神であり、豊受大神は天照大御神の食事を司る神だそうです。

春季祭 4月17日、秋季祭 10月17日。


b0301400_15045568.jpg



こちらは「悪王子神社:あくおうじしゃ」です。
八坂神社の摂社(せっしゃ)です。
摂社とは、縁故の深い神を祀った神社のことです。

本殿の東側に位置しています。悪王子の悪の意味は強い、強力という意味です。
祭神は素戔嗚の荒魂(スサノオのあらみたま)です。

諸願成就にご利益ありとされています。

荒魂は、現実に姿を顕す霊験あらたかな神を指すそうです。
荒魂の対になる言葉として和魂(にきたま)があります。

この悪王子社は、もともと東洞院四条下るにあります「元悪王子町」にありまして、天正年間1573〜1593年に烏丸通 万寿寺下る悪王子町に遷り、1596年に四条京極へ、更には1877年に八坂神社境内の現在地に遷座されたそうです。



b0301400_15102839.jpg
b0301400_16000934.jpg


「平清盛と祇園社乱闘事件」
b0301400_15052380.jpg

平清盛率いる平氏の郎党と祇園社の社人とが正面から衝突をしたとされる祇園社乱闘事件がこの地であったそうです。

ことの起こりは1147年6月15日、宿願の成就祈願に訪れ田楽を奉納した平清盛の家人が、刀などの武器を帯びていたことで、祇園社人が抗議。
それを清盛側が反発したことが事件の発端となったようです。

「飛ぶ鳥落とす平家の棟梁に戯言いうな」と言わんばかりに、刀を抜いて矢を構える清盛の郎党達との睨み合いに…。この時、多くの負傷者を出しました。

この事件を知った祇園社本寺である比叡山・延暦寺は、平忠盛、平清盛を島流しさせるようにと訴えたそうです。

しかし、清盛勢の武力を当てにしていた鳥羽法皇の庇護(ひご)により、今でいう罰金刑に落ち着き、この件は鳥羽法皇の平家に対する信任ぶりを周知させたことになり、また鳥羽法皇にとり、朝廷への発言権を強めていた延暦寺の要求を事実上拒否することに成功したといえる事例となり、武力を見せ付けた形となりました。
一時期、逼塞(ひっそく:姿を消す)した平清盛に代わり、朝廷内では異父弟の家盛の存在感が高まったそうですが、この家盛は20代半ばで病死したそうです。
この一件で、民衆にも武士の持つ武力の重要性が知られる転機となり、ひいては後の平家武家政権へのキッカケとなった事件だといえます。




美御前社(うつくしごぜんしゃ)「美容水」

b0301400_16214168.jpg
b0301400_16211171.jpg
b0301400_16212619.jpg
b0301400_16215952.jpg



こちらの祭神は誉れ高き三女神が祀られております。

市杵島比売命(イチキシマヒメのミコト) は三女神の中でも際立つ美女美女で、弁財天と同じ神としても崇められているそうです。更には美貌の女神とされる吉祥天女とも習合し、財福、芸能、美貌の神としてもも信仰があるそうです。
その他、多岐理毘比売命(タキリヒメのミコト)多岐津比売命(タギツヒメのミコト)です。

古事記によりますと、天照大御神が建速須佐之男命の十拳の剣を三段に打ち折り、天之真名井に振りすすいだ時に生じた神々だと記されております。

海上安全、交通安全の神としても信仰が深いそうです。

こちら美御前社前には、神水とされる湧き水が湧き出しておりまして、名を「美容水」として参拝者の方々に喜ばれておるそうです。

効能は肌の健康にはもとより、心から聡明になれるとされております。

飲料水ではありませんので飲めませんが、2〜3滴お肌につけると化粧水のような効果を期待できるそうですょ ^ ^

この日、外国の二人連れの男性が来られておりましたが、お二方とも熱心に顔につけるというより、塗り込まれておりました。笑

人の美を顕すものは人それぞれです。
目に見える容姿端麗だけでなく、女性らしい言葉や立ち振る舞いが重要でしょう。
美の根元は清く美しい心からです。
見かけだけでは決してありません。
世の男性も心の清らかさを重要視され、自分を大切にしてくださる心美しい方々と出会えますように。そして、心優しき乙女が我が心の美しさに磨きをかけてくださいますように。心の美しい方は笑顔も所作も美しいと思います。



b0301400_17004289.jpg


日吉社(ひよししゃ)

b0301400_17002541.jpg

こちらの日吉社は、八坂神社の末社です。

本殿の北東に位置しております。

祭神は「大物主神:おおものぬしのかみ」です。大山昨神は、素戔嗚尊の三世の孫で大山昨神は七世の孫で大国主命の分魂だそうです。
京都の鬼門(北東)を護る方位除けの神として信仰を集めています。
4月初めの申日(はつさる)の日に日吉社祭りが行われるそうです。





刃物神社(はものじんじゃ)

b0301400_17011224.jpg

b0301400_17005847.jpg

b0301400_17273466.jpg



祭神は天目一箇神(アメノマヒトツノカミ)という神様だそうです。
日本書紀では製鉄鍛治の神として知られています。

漢字の通り、この神は目が一つだったそうです!
サイクロプスという一つ目の妖怪?なんでしょうか。

刀の曲がりのチェックをする際に、片目をつぶりチェックしていたことから一つ目の神を描いたのでしょうか。

こちらでは未来を切り拓くご利益があるそうです。

刃物大神の由来と書かれた石碑には、平安京であった京都では刀剣(とうけん)などの刃物の制作が盛んであり、多くの名工を輩出したそうです。
なので刃物発祥の地とされているようです。

刃物の基礎はこの土壌で培われ、刃物産業の基礎を確立し各地に広めたとあります。

これら先祖の偉業を称え、昭和になってから建立されたようです。

人を切った刀を祀った場所ではありません。

料理人の方が信仰されるのでしょうか。

毎年11月8日には「ふいご祭」が行われているそうです。
刃物の供養が行われるようです。
刃物が供養してもらえるのなら有難いですよね!



b0301400_22540765.jpg
b0301400_22542837.jpg
b0301400_22544412.jpg
b0301400_22545988.jpg



こちらが八坂神社の正門である「南楼門:みなみろうもん」です。

b0301400_22583769.jpg
b0301400_22572361.jpg

南楼門は慶応2年に火災に遭い明治12年に再建されました。

四条通に面した方の門が正門だと思っておりましたが、こちらが正門でした。

勘違いされている方は多いと思います。本殿の正面に大きな鳥居が控えております。

神事の行列や神輿も南門を通り入ってきます。

こちらからは出ますと、八坂の塔(法観寺)や二年坂、産寧坂(さんねいざか)を通り、清水寺にも行かれます。下河原通の東に平行する道が「ねねの道」であり、高台寺、円徳院、霊山観音もここから近くにあります。

b0301400_22561897.jpg
b0301400_22563402.jpg

こちらは「藤屋と空也上人ゆかりの井戸:ふじやとくうかいしょにんゆかりのいど」という井戸があります。

南楼門に向かって左手にあります。この場所は、明治初年まで藤屋という名前の茶店があったそうです。店の傍に藤棚があったので藤屋と称し、藤屋の初代はこの井戸の清水を沸かし、八坂神社の参詣者(さんけいしゃ)に出していたそうです。
参詣者がこの白湯を飲み、身を清めてから参拝したので「清めの茶屋」とも呼ばれていました。平安時代前期925年、後醍醐天皇が疱瘡(ほうそう:天然痘の俗称)にかかり、
多くの人々もこの病に苦しんだといいます。
これを見た空也上人は八坂神社に参籠し、天皇や民衆の病気平癒を祈願。その時、空也上人は、この井戸の水を用いた白湯を人々に施し、白湯を飲んだ人々は次々に病が治っていったと伝えられています。後に藤屋の向かい側にもう一軒の茶店(現在の中村楼)が出来、鳥居内にあったこの二軒の茶店は「二軒茶屋」と呼ばれました。現在は藤屋が無くなり中村楼だけとなってしまったそうですが、二軒茶屋の呼称は今尚残っているそうです。

現在はこの井戸は厳重に石で蓋をし、柵で囲まれてしまっています。
何かを封じたものではなさそうですが、この箇所はなんとなくヒンヤリする場所です。
京都は昔から妖怪が跋扈(ばっこ:我がもの顏で振る舞うこと)する町といわれ魑魅魍魎(ちみもうりょう:妖怪)伝説は多くあります。安倍晴明は幼い頃百鬼夜行(百鬼夜行:深夜の町を集団で徘徊する鬼やら妖怪)を見たという話が「今昔物語集」に載っています。実はあの安倍晴明は八坂神社の祇園祭と関係があるそうですょ。
祇園社の根本経典の一つに「ホキ内伝」という正式名を「三国相伝陰陽道管轄ホキ内で伝金鳥玉兎集」という陰陽道の占術書があり、これが安倍晴明の撰述(せんじゅつ)で
あると伝えられているのです。これは仮託であり、この作者は鎌倉時代の社務の一人ではないか…と伝えられているようですが、本当はやはり安倍晴明が絡んでいたかも知れません。



b0301400_22571046.jpg
b0301400_22564929.jpg


八坂神社の初詣は、大晦日の「除夜祭」が31日19時から始まります。

1月1日〜3日までは三が日で終日解放されております。

授与所は12月31日〜1月3日まで朝8時から24時まで開いております。

お正月は大変混み合います。露天屋台も100店舗以上出店し、非常に混雑することを覚悟してお出掛けください。特に大晦日の日付が変わる頃より午前3時まではことの他混み合います。混雑を避けたい方は元旦朝4時から6時がお勧めです。
尚、この時間帯は授与所は開いておりません。
また、2日、3日の夜22時以降なら比較的混雑を避けられますし、授与所も開いておりますので、御守りが手に入ります。
駐車場は境内にありますが、40台しか入りません。八坂神社周辺には幾つも有料パーキングは有りますが、初詣時期は交通規制が行われます。
駐車場をお探しの方は、八坂神社から離れた場所なら停められる可能性もあります。
公共交通機関の方が便利です。ご無理なさらずお出掛けください。



八坂神社

住所 京都市 東山区 祇園町 北側 625番地

電話

交通機関

京阪 「祇園四条駅」から東へ徒歩五分。

阪急「河原町駅」から東へ徒歩八分。

JR「京都駅」から市バス209番「祇園」下車すぐ。

八坂神社周辺は観光スポットが点在する場所ですので楽しめる分、混雑もすごいのです。お子様やお年寄りの方との参拝は、くれぐれもお気をつけてください。



ほな(・ω・)ノ

by neko_nezumi | 2014-12-14 23:54 | 京都 | Comments(0)


京都・三条東殿跡(平清盛ゆかりの地)




京都市中京区、現在は新風館という商業施設が建っておりますが、この場所は平清盛ゆかりの地であります。ここが かつての平清盛の人生のターニングポイントとなった地であったそうです。


b0301400_21445668.jpg



11世紀の初め、この場所には伊予守藤原済家の邸宅があり、それは子孫の宮内卿藤原家通に伝えられました。

崇徳天皇の1125年天治2年、白河法皇はこの地を得て、ここに見事な殿舎を建て院の御所としました。

平治の乱、平清盛が武力により躍進し、武家政権確立に至る口火を切った場所こそ、こちらの三条東殿の跡地なのです。

1159年12月9日の夜、藤原信頼、源義朝の軍勢が、この三条東殿を襲撃したことから始まります。信頼らは後白河上皇と、その姉の上西門院の身柄を確保して幽閉したそうです。そして三条東殿に無情にも火を放ち、逃げ惑うものには容赦無く矢を放ち次々と討ち殺していったといいます。多数の官女は自害の為の短剣を持っていなかったので、三条東殿の井戸に身を投げ、非業の死を遂げたと伝えられています。

後白河院政派と二条親政派の勢力争いに加えて、後白河の側近でありながら権勢を振るい両派から敵視されていた信西一門の三つ巴の争いに端を発したこの諍(いさか)いに、武家である平家一門と藤原信頼、源義朝の軍勢が其々の思惑をもって加担していった戦いとなったわけです。

後白河天皇は保元の乱に勝利し、側近である信西に命じて荘園の改革を試みるものの、この過程で鳥羽法皇の流れを汲む二条新政派が待ったをかけ、側近の信西も二条親政派の要求を無視出来ない状態となったようです。

協議の結果、後白河天皇は二条親政派の推す守仁親王に位を譲ると二条天皇として即位し、後白河院政派と二条親政派の対立が幕を開けることとなりました。

信西はこの一件で後白河院政派の恨みの対象となったようです。

そして後白河院政派と二条親政派は、互いに対立する関係でありながら、信西一門の政治主導に反発するという利害が一致したことにより、信西を討つ機会を狙っていたようです。

清盛はといえば、この流れの中、中立の立場を表していましたが、清盛の軍事力はどの派閥から見ても無視出来ないものであり、そこで清盛が熊野参詣な赴いた隙をつき、反信西派はクーデターを起こしたのです。

クーデターの標的は信西でしたが、信西は運良く襲撃を逃れましたが、執拗に追いかけて来る追手から逃れられず、自害を決行。

これにより信西の命は奪えたものの、事態は思わぬ方向へと進みました。

藤原信頼がクーデターの成功の勢いを借りて、内裏に二条天皇、後白河上皇を確保。
政権を掌握してしまうのです。
これには後白河院政派と二条親政派にとり想定外となってしまいました。

清盛は紀州熊野から、京都 六波羅に戻ると藤原信頼、源義朝との戦いを決意。
ところが、当初藤原信頼は清盛が味方になると踏んでおり、判断の甘さを義朝から咎められ、六波羅に敵を引き寄せる作戦を実行。
六波羅は清盛の邸宅跡地でありながら、平治の乱の主戦場跡でもあるわけです。

清盛は六波羅合戦で勝利し藤原信頼は斬首され、源義朝は敗走途中で家人の裏切りにより絶命。後に宿敵となる義朝の息子、頼朝はいずに流罪となりました。

清盛は権力争いに巻き込まれながらも二条天皇に肩入れすることなく中立を守り、尚且つ権力を増していったそうです。

平家物語などから、清盛は権力を振りかざすというイメージでしたが、ここへ来て実際像は何となく違う気がしました。


三条東殿跡は、院政時代に於ける政治的にも文化的にも中心となる地であります。




現在は(下の写真)新風館という複合商業施設となっており、一階の中央ステージでは色んな催し物やコンサートも開かれております。

ファッション、グルメ、インテリア、美容関連など多くのショップが入っております。
これからの季節、クリスマスイベントなど開催されるようですょ。

営業時間は11:00〜20:00です。

住所 京都市 中京区 烏丸通 姉小路 下る場之町 586-2

交通 京都市営地下鉄烏丸線 東西線 烏丸御池駅 5番出口から徒歩1分。


b0301400_21452747.jpg
b0301400_23082987.jpg
b0301400_21460806.jpg
b0301400_21453650.jpg

この道の脇に三条東殿跡の立て札がありました。


b0301400_21445668.jpg


ほな(=゚ω゚)ノ

by neko_nezumi | 2014-12-09 23:18 | 京都 | Comments(0)

    

宇宙からの カミガミトーク
by 猫丸 ねずみ
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31
カテゴリ
以前の記事
最新の記事
画像一覧
最新のコメント
通りすがり様 コメ..
by neko_nezumi at 06:26
私は船岡山の麓、といえば..
by 通りすがり at 16:53
Hello!
by viagra_price at 21:26
If you are g..
by viagra at 14:50
Good post. I..
by viagra at 16:22
Hello!
by propecia at 16:20
Hello!
by viagra at 16:20
Good post. I..
by viagra at 16:20
This actuall..
by Richard at 10:19
Oh my goodne..
by for at 07:23
フォロー中のブログ
タグ
検索
ツイッター
{\rtf1\ansi\ansicpg1252 {\fonttbl\f0\fswiss\fcharset0 Helvetica;} {\colortbl;\red255\green255\blue255;\red0\green0\blue0;\red255\green255\blue255;} \deftab720 \pard\pardeftab720\sl300\partightenfactor0 \f0\fs24 \cf2 \cb3 \expnd0\expndtw0\kerning0 \outl0\strokewidth0 \strokec2 \ \ \ }
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル