こちら八坂神社さんは、全国にあります八坂神社や素戔嗚尊(すさのおのみこと)を
祭神とする2300ある神社の総本社であります。
西楼門(にしろうもん)は八坂神社の境内西端に位置しており四条通と東大路の「祇園交差点」に面しており、かなり目立っております。室町時代後半1497年に造られた、三問一戸楼門、切妻造、本瓦葺きの門で国の重要文化財に指定されております。
八坂神社は通称 祇園(ぎおん)さんとも呼ばれ、地元の人々から遠方の観光客にまで広く親しまれている神社です。祇園祭りとは、こちらの神社のお祭りでありまして、7月から1ヶ月間行われる長いお祭りは全国的にも有名です。
境内東側は「しだれ桜」で有名な円山公園があります。
お正月の三日間は、とにかくもの凄い人でいっぱいです!
普通に歩けなくなるほどです。
近年は100万人も訪れているそうで伏見稲荷大社に次ぐ参拝者数だそうですょ!
こちら八坂神社は普段から夜間でも参拝することのできる神社です。
主祭神は素戔嗚尊、東御座は 櫛名田姫命(くしなだひめのみこと)西御座は 八柱御子神(やはしらのまこがみ)素戔嗚尊の8人の子供、八島篠見神、五十猛神、大屋比売神、抓津比売神、大年神、宇迦之御魂神、大屋毘古神、須勢理毘売命。
配神は、東御座に同座の神大市比売命、佐美良比売命、いずれも素戔嗚尊の妻。
西御座に御座はに稲田宮主須賀之八耳神。
延長4年926年、ある修行僧が祇園天神堂を建てる。
承平4年934年、祇園感神院を建てる。
平安時代中期ごろより地域の産土神(うぶすなしん)として信仰され、また朝廷からも篤(あつ)い崇敬を受けたそうです。
祇園祭は貞観(じょうがん)11年869年に各地で疫病が流行した際に神泉苑(しんせんえん:中京区にある東寺真言宗の寺院)で行われた御霊会(ごりょうえ:祟りを防ぐ為の鎮魂の為の儀礼)を起源とするもので、天禄元年970年頃から八坂神社の祭礼として毎年行われるようになったということです。
この日は2014年12月6日ですが、年末年始ほどじゃありませんが屋台が幾つか出ておりました。
1月1日には、白朮歳(おけらさい:をけらさい)午前5時から1年の安泰を祈る神事が行われます。
本殿前に落とされた「おけら火」から火縄に火を移し、境内に設けられた「白朮火授与所」で灯篭に移され「おけら木」を燃やし続けるそうです。
こちらでは、参拝者の願意が書かれた白木の「をけら木」が大晦日午後7時すぎから元旦早朝まで焚かれるそうです。
境内三カ所の「をけら灯篭」の火を竹でできた火縄に受けて帰り、無病息災を願って神棚のロウソクな火を付けたり、火を火縄に移し持ち帰ることが出来ます。
燃え残った火縄は「火伏せのお守り」として台所に祀るそうです。
これを「をけら参り:をけら詣り」と言うそうです。
祇園社は当初は興福寺の配下であったそうですが、10世紀末の戦争により延暦寺がその末寺としたようです。
1070年には、祇園社は鴨川の西岸の広大な地域を「境内」として認められ、朝廷からの不入権を承認されました。
嘉禄(かろく)3年 1227年延暦寺は法然(ほうねん:浄土宗の開祖と仰がれた僧侶)の墓所を感神院の犬神人(いぬじにん:大社に従属した下級神官で境内や御幸路の清掃などに従事)に申し付けて破却(はきゃく:こわすこと)したそうです。
1384年、足利義満(あしかがよしみつ:室町幕府第三代将軍)は、祇園社。比叡山から独立させました。しかしそれは祇園社が幕府配下となった訳ではなく、以降 祇園歳は経済的に力を付けた京の町衆により行われるものとなり現在に至っています。
慶応4年(9月8日に1月1日に遡(さかのぼ)って明治元年に改元)の神仏混交禁止により、「感神院祇園社」から「八坂神社」と改めたそうです。
こちらは疫神社で祭神は「蘇民将来命:そみんしょうらいのみこと」です。
蘇民将来とは日本各地に伝わる説話、又はそれを起源とする民間信仰のことです。
「蘇民将来」と記した護符は、日本各地の国津神系の神(主に素戔嗚スサノオ)を祀る神社で授与されており、災厄を払い福を招く神として信仰されています。
岩手県南部では、例年この説話を元にした盛大な蘇民祭りが行わわれているそうです。
説話
旅の途中で宿を乞うた無塔神(むとうしん)を裕福な弟の将来(備後国風土記では或本作巨旦将来也とあり、巨旦将来(こんたんしょうらい)と表記、今金神のこととされる)はそれを断り、貧しい兄、蘇民将来は粗末ながらもてなしたそうです。
後に再訪した無塔神は、弟の将来の妻となっていた蘇民の娘に茅(かや:草の総称)の輪を付けさせ、それを目印にして娘を除く、弟の将来一族を滅ぼしたそうです。
武塔神はみずから速須佐雄能神(スサノオ)と自分の正体を名乗り、以後は茅の
輪を付けていれば疫病を避けることができると伝わったそうです。
因みに蘇民将来の起源は今以って分かっていません。
密教の「武塔天神王」による説と、尚武な神という意味で「タケタフカミ(武勝神)」という説があります。
こちらは「太田社」

太田社(おおたしゃ)とは、八坂神社の末社です。
祭神は「猿田彦神:さるたひこのかみ」「天鈿女命:アマノウズメノミコト」です。
猿田彦神は、天孫(てんそん)降臨に際して日神(にちじん)の使いとして先導の役割を果たした「導きの神」とされています。
天鈿女命は天照大神(アマテラスオオミカミ)の天の岩戸隠れの時に岩戸の前で神楽(かぐら)を舞った神で、天孫降臨にお供して猿田彦神と共に導きを行ったそうです。
宮廷神楽を奉仕した猿女君の遠い祖(先祖)であり、芸能の神として信仰されています。
こちらは北向蛭子社(きたむきえびすしゃ)です。
北向蛭子社は、八坂神社の末社です。
社殿は江戸時代前期の天保3年、1646年に建立されたもので国の重要文化財に指定されております。建物は桁行三間、梁間三間、流造り、両側面(東西面)及び背面(南面)一間通り庇(ひさし)付きでこけら葺きとなっています。1998年には、こけら葺き替えと塗り替えが行われました。
北向蛭子の祭神は、事代主神(ことしろぬしかみ)で、一般には恵比寿(えびす)神
と呼ばれ、福の神、商売繁盛の神とされております。
事代主神は大国主の御子神で、八坂神社の本殿に祀られる主祭神である素戔嗚尊(スサノオのミコト)の孫神に当たります。
1月9日と10日には「初恵比寿:初エビス」の例祭が行われます。
こちらは「大国主社:おおくにぬししゃ」です。
大国主社は、八坂神社の末社です。
本殿南西側にあります祭神は「大国主命:おおくにぬしのみこと」「少彦名命:すくなひこのみこと」です。
大国主命は、大己貴命(おおなむちのかみ)や八千矛神(やちほこのかみ)などの多くの別名があり、本殿に祀られる素戔嗚尊の神子とも6代の孫とも伝えられているそうです。出雲の神で俗に「大黒(だいこく)さん」と呼ばれる福の神、縁結びの神として知られています。
事代主命は、大国主命の神子です。少彦名命は、医薬の神様で大国主命と共に国造りを行った神とされています。
こちらは八坂神社中央に位置する御札・お守り授与所です。
郵送で送ってもらえるそうですので、詳しくはお尋ねください。

こちらは舞殿(まいどの)です。
舞殿とは神社の境内に設けた舞楽を行う建物のことです。
神楽殿(かぐらでん)とも呼ばれています。
本殿の南にあり、舞の奉納など様々な催しに使用されます。
祇園祭りの時には、三基の神輿(みこし)が安置されます。沢山の提灯は、祇園のお茶屋や料亭から寄進されたものがほとんどです。
八坂神社に対する信仰の厚さを示すものの一つです。
こちらが八坂神社本殿となりなります。
たまたまお賽銭の回収をしておりました…(^_^;)
本殿(ほんでん)は、江戸時代前期 承応3年1654年に建立され、国の重要文化財に指定されています。
桁行七間、梁間六間、入母屋造、槍皮葺、建面積662平方メートル、軒面積1095平方メートル、屋根面積1320平方メートル。
この本殿の建築様式は「祇園造り」と呼ばれる特殊な造りです。
ご祈願は、厄除け、安産、帯祝い、初宮詣り、祝寿、交通安全、心身健康、病気平癒、家内安全、心願成就、縁結びなど。
こちらは、「大神宮社:だいじんぐうしゃ」です。

こちらは伊勢の神宮の天照大御神(内宮)と豊受大神(とようけのおおかみ)(外宮)
が祀られております。
天照大御神は皇室の祖神で素戔嗚尊の姉神であり、豊受大神は天照大御神の食事を司る神。
春季祭 4月17日、秋季祭 10月17日。

こちらは「悪王子神社:あくおうじしゃ」です。
八坂神社の摂社(せっしゃ)です。摂社とは、縁故の深い神を祀った神社のことです。
本殿の東側に位置しています。悪王子の悪の意味は強い、強力という意味です。祭神は素戔嗚の荒魂(スサノオのあらみたま)です。
諸願成就にご利益ありとされています。
荒魂は、現実に姿を顕す霊験あらたかな神を指すそうです。
荒魂の対になる言葉として和魂(にきたま)があります。
この悪王子社は、もともと東洞院四条下るにあります「元悪王子町」にありまして、天正年間1573〜1593年に烏丸通 万寿寺下る悪王子町に遷り、1596年に四条京極へ、更には1877年に八坂神社境内の現在地に遷座されたそうです。


「平清盛と祇園社乱闘事件」
平清盛率いる平氏の郎党と祇園社の社人とが正面から衝突をしたとされる祇園社乱闘事件がこの地であったそうです。
ことの起こりは1147年6月15日、宿願の成就祈願に訪れ田楽を奉納した平清盛の家人が、刀などの武器を帯びていたことで、祇園社人が抗議。
それを清盛側が反発したことが事件の発端となったようです。
「飛ぶ鳥落とす平家の棟梁に戯言いうな」と言わんばかりに、刀を抜いて矢を構える清盛の郎党達との睨み合いに…。この時、多くの負傷者を出しました。
この事件を知った祇園社本寺である比叡山・延暦寺は、平忠盛、平清盛を島流しさせるようにと訴えたそうです。
しかし、清盛勢の武力を当てにしていた鳥羽法皇の庇護(ひご)により、今でいう罰金刑に落ち着き、この件は鳥羽法皇の平家に対する信任ぶりを周知させたことになり、また鳥羽法皇にとり、朝廷への発言権を強めていた延暦寺の要求を事実上拒否することに成功したといえる事例となり、武力を見せ付けた形となりました。
一時期、逼塞(ひっそく:姿を消す)した平清盛に代わり、朝廷内では異父弟の家盛の存在感が高まったそうですが、この家盛は20代半ばで病死したそうです。
この一件で、民衆にも武士の持つ武力の重要性が知られる転機となり、ひいては後の平家武家政権へのキッカケとなった事件だといえます。
美御前社(うつくしごぜんしゃ)「美容水」
こちらの祭神は誉れ高き三女神が祀られております。
市杵島比売命(イチキシマヒメのミコト) は三女神の中でも際立つ美女美女で、弁財天と同じ神としても崇められているそうです。
更には美貌の女神とされる吉祥天女とも習合し、財福、芸能、美貌の神としてもも信仰があるそうです。
その他、多岐理毘比売命(タキリヒメのミコト)多岐津比売命(タギツヒメのミコト)。
古事記によりますと、天照大御神が建速須佐之男命の十拳の剣を三段に打ち折り、天之真名井に振りすすいだ時に生じた神々だと記されております。
海上安全、交通安全の神としても信仰が深いそうです。
こちら美御前社前には、神水とされる湧き水が湧き出しておりまして、名を「美容水」として参拝者の方々に喜ばれています。
効能は肌の健康にはもとより、心から聡明になれるそですょ!
飲料水ではありませんので飲めませんが、2〜3滴お肌につけると化粧水のような効果を期待できるそうです。
この日、外国の二人連れの男性が来られておりましたが、お二方とも熱心に顔につけるというより、塗り込まれておりました(笑)
人の美を顕すものは人それぞれです。
目に見える容姿端麗も大切かもしれませんが、女性は特に言葉使いや、立ち振る舞いが重要でしょう。
美の根元は清く美しい心からです。
見かけだけでは決してありません。
世の男性も心の清らかさを重要視され、自分を大切にしてくださる心美しい方々と出会えますように。
心優しき乙女が、我が心の美しさに磨きをかけてくださいますように。心の美しい方は
日吉社(ひよししゃ)
こちらの日吉社は、八坂神社の末社です。
本殿の北東に位置しております。
祭神は「大物主神:おおものぬしのかみ」です。大山昨神は、素戔嗚尊の三世の孫で大山昨神は七世の孫で大国主命の分魂。
京都の鬼門(北東)を護る方位除けの神として信仰を集めています。
4月初めの申日(はつさる)の日に日吉社祭りが執り行われます。
刃物神社(はものじんじゃ)
祭神は天目一箇神(アメノマヒトツノカミ)という神様だそうです。
日本書紀では製鉄鍛治の神として知られていますね。
漢字の通り、この神は目が一つといいます。
サイクロプスという一つ目の妖怪?なんでしょうか。
刀の曲がりのチェックをする際に、片目をつぶりチェックしていたことから一つ目の神を描いたのでしょうか。
こちらでは未来を切り拓くご利益があるそうです。
刃物大神の由来と書かれた石碑には、平安京であった京都では刀剣(とうけん)などの刃物の制作が盛んであり、多くの名工を輩出したそうです。
なので刃物発祥の地とされているようです。
刃物の基礎はこの土壌で培われ、刃物産業の基礎を確立し各地に広めたとあります。
これら先祖の偉業を称え、昭和になってから建立されました。
人を切った刀を祀った場所ではありません。
料理人の方が信仰されるのでしょうか。
毎年11月8日には「ふいご祭」が行われているそうです。
刃物の供養が行われるようです。
使用しなくなった刃物などを供養してもらえるのなら有難いですよね!
こちらが八坂神社の正門である「南楼門:みなみろうもん」です。
南楼門は慶応2年に火災に遭い明治12年に再建されました。
四条通に面した方の門が正門だと思っておりましたが、こちらが正門でした。
勘違いされている方は多いかもしれませんね。
本殿の正面には、大きな鳥居が控えております。
神事の行列や神輿も南門を通り入ってきます。
こちらからは出ますと、八坂の塔(法観寺)や二年坂、産寧坂(さんねいざか)を通り、清水寺にも行かれます。下河原通の東に平行する道が「ねねの道」であり、高台寺、円徳院、霊山観音もここから近くにあります。
こちらは「藤屋と空也上人ゆかりの井戸:ふじやとくうかいしょにんゆかりのいど」という井戸があります。
南楼門に向かって左手にあります。
この場所は、明治初年まで藤屋という名前の茶店があったそうで、店の傍に藤棚があったので藤屋と称し、藤屋の初代はこの井戸の清水を沸かし、八坂神社の参詣者(さんけいしゃ)に出していたそうです。
参詣者がこの白湯を飲み、身を清めてから参拝したので「清めの茶屋」とも呼ばれていました。
平安時代前期925年、後醍醐天皇が疱瘡(ほうそう:天然痘の俗称)にかかり、
多くの人々もこの病に苦しんだといいます。
これを見た空也上人は八坂神社に参籠し、天皇や民衆の病気平癒を祈願。
その時、空也上人は、この井戸の水を用いた白湯を人々に施し、白湯を飲んだ人々は次々に病が治っていったと伝えられています。
後に藤屋の向かい側にもう一軒の茶店(現在の中村楼)が出来、鳥居内にあったこの二軒の茶店は「二軒茶屋」と呼ばれました。
現在は藤屋が無くなり中村楼だけとなってしまったそうですが、二軒茶屋の呼称は今尚残っています。
現在はこの井戸は厳重に石で蓋をし、柵で囲まれてしまっています。
何かを封じたものではなさそうですが、この箇所はなんとなくヒンヤリする場所です。
京都は昔から妖怪が跋扈(ばっこ:我がもの顏で振る舞うこと)する町といわれ、そのため魑魅魍魎(ちみもうりょう:妖怪)伝説は数多くあります。
安倍晴明は幼い頃、百鬼夜行(百鬼夜行:深夜の町を集団で徘徊する鬼やら妖怪)を見たという話が「今昔物語集」に載っています。
実はあの安倍晴明は八坂神社の祇園祭と関係があるようです。
祇園社の根本経典の一つに「ホキ内伝」という正式名を「三国相伝陰陽道管轄ホキ内で伝金鳥玉兎集」という陰陽道の占術書があり、これが安倍晴明の撰述(せんじゅつ)で
あると伝えられているのです。
これは仮託であり、この作者は鎌倉時代の社務の一人ではないか…と伝えられているようですが、本当はやはり安倍晴明が絡んでいたかも知れません。
八坂神社の初詣は、大晦日の「除夜祭」が31日19時から始まります。
1月1日〜3日までは三が日で終日解放されております。
授与所は12月31日〜1月3日まで朝8時から24時まで開いております。
お正月は大変混み合います。露天屋台も100店舗以上出店し、非常に混雑することを覚悟してお出掛けください。
特に大晦日の日付が変わる頃より午前3時まではことの他混み合います。混雑を避けたい方は元旦朝4時から6時がお勧めです。
尚、この時間帯は授与所は開いておりません。
また、2日、3日の夜22時以降なら比較的混雑を避けられますし、授与所も開いておりますので、御守りが手に入ります。
駐車場は境内にありますが、40台しか入りません。
八坂神社周辺には幾つも有料パーキングは有りますが、初詣時期は交通規制が行われます。駐車場をお探しの方は、八坂神社から離れた場所をお選びください。
公共交通機関の方が便利です。ご無理なさらずお出掛けください。
八坂神社
住所 京都市 東山区 祇園町 北側 625番地
交通機関
京阪 「祇園四条駅」から東へ徒歩五分。
阪急「河原町駅」から東へ徒歩八分。
JR「京都駅」から市バス209番「祇園」下車すぐ。
八坂神社周辺は観光スポットが点在する場所ですので楽しめる分、混雑もすごいのです。お子様やお年寄りの方との参拝は、くれぐれもお気をつけてください。
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