老舗のお蕎麦屋さん尾張屋さんにお伺いした時に見つけたお店です。
尾張屋さんの斜め前にあります。
玄関前に張り出す暖簾(のれん)に「すい出しの軟膏」と書いてあり、続けて雨森 無二膏(むにこう)と書いてあります。
現代人がこれを見て、すぐさま「薬屋さんだ!」と思われる方は少ないと思います。
無二膏とは、「世に二つとない妙薬」という意味から名付けられた薬のようです。
初代・雨森良意さんというお方が、お灸を据えた際に出来る「かさぶた」には、もしかすると身体の毒素が溜まっていると考え、膿を吸い出す「すい出し」の為に作られた軟膏のようです。腫れ物などの膿を出し、傷跡を残さない薬として愛用されているそうです。切り傷などにも効果が高く、水仕事をされている方にも好評なのだそうですょ。
「無二膏」と名付けられたこの薬は、商品名ならぬ一般名として広く認識されたそうで、明治初期あたりに同名のニセモノの商品が出回ったそうです。
その話は、上方落語などにも登場するそうです。
無二膏のお値段は、一つ1080円だそうです。
さて、この雨森家は、近江国で代々医師を生業とした家系で、徳川三代将軍・家光の時代に上洛し、京都御所近くの車屋町に移り住んだ雨森良意さんが、御殿医を勤めながら、民衆の苦しむ腫れ物対策に研究を重ね、苦労の末、この無二膏を生み出したそうです。この時点では無二膏には名前が付いていませんでした。
それが瞬く間に評判が広がり、誰が言うわけではなく「無二膏」という名が付けられたのだとか。その後、民衆の需要の高さにより製造が追いつかなくなり、1648年慶安元年に御殿医を辞職し、無二膏の製造に専念されたそうです。
やがて西洋医学が日本に入ってくるようになると、抗生物質の普及から薬房は幾度も苦戦を強いられてきたそうです。かつて、この辺りは「薬といえば二条」と言われるくらい多くの薬局が点在していたそうですが時代の流れの中、薬房は徐々に消えていったそうです。確かに、近くを散策すると薬局が多く見受けられました。
そんな急激な激動の流れの中、こちらの薬房は生き残り現在も尚、「無二膏を絶やさないで欲しい」と願う人々の想いを受け継いでいるとのことです。
現在、15代目 雨森良和さんがご先祖からの意向を引継ぎ、無二膏を作り続けています。
この無二膏は、腫れ物、切り傷、あかぎれ、ひび割れ、さかむけなどに効果があるそうです。
無二膏は軟膏ではないので、少し固いのだそうです。
なので、少し缶ごと火で炙り、柔らかくしたものを楊枝(ようじ)ですくい取り、傷口に埋め込むように擦り付けるそうです。
湿疹には「透肌膏」というものもあるそうです。
この透肌膏は、かさぶた、やけど、できもの、切り傷、痔、しもやけ、に効くのだとか。
無二膏は、独特の刺激臭があるそうです。火で炙ると、匂いは部屋に立ち込めるほどだそうです。
無二膏の成分は、ごま油、鉛丹(えんたん)、ダイオウ、オウギ、ジオウ、オウバク、サンシシ、センキュウ、オウレン、トウキ、シャクヤク、モウコウ、ゲンジン、オウゴン、白正。
天然由来なのでしょうけれど、鉛丹は鉛ですけど身体にどうなのでしょうか?
雨森さんとはまったく関係ありませんが、すぐ近くにはこんな看板も。
色がキレイだったので、ついパチリ…( ̄▽ ̄)
製造販売元
雨森敬太郎薬房
京都市 中京区 車屋町 二条下る 仁王門 突抜町 307-1
電話 075 231 2848
ほな(=゚ω゚)ノ
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