にゃにゃにゃ!
4月はにゃ、挑戦と改革の月だにゃ。
個人、組織、社会の中で、それぞれの諸悪に対し、徹底して抗う傾向となりそうにゃ。
良くも悪くも、人それぞれの立場での「正義」が横行し、心に描く理想を叶えるために一気に動き出す傾向にゃ。
小さな規模から大きな規模まで、それぞれの改革に向けての変化を求める人が激動していく流れとなりそうにゃ。
世の中の矛盾、社会の巨悪、不正や嘘に対する怒りが一気にマックスとなり、それにより暴露、密告、告訴、または自責の念による自白やカミングアウトなども多くなりそうにゃ。
今まで叶えられなかったことや、叶わなかったことなどを叶える為の行動が一気に整えやすくなる月だということだにゃ。
社会の表から裏のリーダー、リーダー的存在の大きな転換期となるかもにゃ。
また、ずっと思い続けている悪い想像や、心配ごとなども叶いやすくなるかも。
世の中の善悪や美醜に敏感に反応しやすい月なので、個人が正義感を出し易くなる流れとなり、良くも悪くも1人が動き出すと、周囲にも大きく巻き込まれる可能性が大きくなりそうにゃ。
人それぞれの立場の「正義」で動くので、自分の信念に叶うものでないものに対しては正直に強く抗う傾向でもあり、不当である旨を表明する抗議を行う人たちが増え、今までになく熱い心で波乱な道のりを敢えて選ぶ人も多くなりそうにゃ。
また、抗議だけでは済まない傾向で「白黒つける」という流れなので、責任を問われる制裁から報復といった形にもなりやすいにゃ。
4月の災難除けの秘訣はにゃ、良くも悪くも主観が高まり反骨精神旺盛の月となる傾向なので、信念を貫く人にとっては、それが災いとなるかもしれない危険要素も含まれる月だと心得るべきにゃ。
今月、1番気をつけることは頑固さにゃ。
自分の利益だけ考える利己的さから発動している頑固さならば、周りとの衝突は避けられないかもにゃ。
主観が強すぎれば、人との信頼関係をつくることは とても難しいことになりそうにゃ。
親族関係では、子供に対する親の理想を押し付けたり、子供が親に逆らったり、夫や妻に対し自分の理想を強要することで相手の反発精神も高まり、それにより大きな事件となる可能性も高まるので、家族に対する言葉遣いや態度にはくれぐれも注意してにゃ。
主観が強くなる傾向の月は、他人から身内まで聞きたくないような内容の意見にも耳を傾けようとする努力する意識が災難除けの大きな秘訣となりそうにゃ。
相手の立場も受けいれる度量と柔軟性が出てくれば、大難までとはならない運命を築けるはずにゃ。
人を思うことは協調性を養うことに繋がるにゃ。
協調性とは異なった環境や立場に存する者が互いに助け合い譲り合い、互いに理解し合えることに繋がるひとつの方法にゃ。
人がいるからこそ、自分が生かされているという自覚を持つことで、人とのトラブルは未然に防ぐことが出来るはずにゃ。
自己主張が稚拙(ちせつ・幼稚で未熟)ならば災いは避けられないにゃ。
議論より解決を目指す話し合いで、まずは自分の精神を大人にすることが大切だにゃ。
4月の運気アップの秘訣はにゃ、身辺を整えたり、心を整えたり、外見を整えることが運気アップに繋がりそうにゃ。
今月は良くも悪くもファッション(身なりや体型)や身辺整理、そして日頃の態度や言葉を改めたり、悪心を改めることで新たな運命を築けそうにゃ。
悪い意味で、見かけ(外見)で人を判断する人が増える月でもあるので、服装に気を配ることが運気アップの秘訣となりそう。
大切な場面では身なりを清潔にして整え、服装もTPOを大切にすることにゃ。
TPOとは、時間と場所と場合という意味で、それぞれに応じた服装や態度が大切にゃ。
清潔感も運気アップの大切な要素。
そして、相手に対する態度がきちんとしていることも運気アップの秘訣だにゃ。
親しき仲にも礼儀あり…を、くれぐれも忘れないことにゃ。
礼節をわきまえて(相手に合わせて失礼のないようにすること。身内であっても言葉遣いにも失礼のないように)行動することで、あなたの魅力は一段とアップし、あなたへの信頼度も確実にアップするはずにゃ。
自分の殻を破る新しいことへの挑戦や改革に適した月なので、髪型やファッションを変えるイメチェンや、部屋の模様替え、身辺整理など、新しい自分を目指して吉にゃ。
部屋の模様替えは、自分の運気を上げたい色で運気アップ。
散らかった部屋の整理整頓は大吉。
整理整頓は、迷う心の整理に繋がる行為となるので、簡単な自分改革となるにゃ。
やれない部屋の片付けが出来きると、不思議と心の迷いも消え、どうすれば解決できるかの判断に繋がる心に整うはずにゃ。
服の整理整頓は、クローゼットや引き出しのタンスの中にしまえる分だけの服以外は、思い切って処分することをオススメするにゃ。
しまう場所以外に置く服や小物類は、部屋が散らかる原因となるだけでなく、生き霊やモノノケ達が、放置したモノに寄り付き潜む「場」になってしまうからなんだにゃ。
服を1枚買ったら、その度に服を1枚処分するくらいの気持ちで、しまう場所に収納できるだけの服や小物に留めておくことは、あなたが思っている以上の運気アップとなるにゃ。
服や小物が収納場所に収まるようにセーブできるようになると、無駄な買い物は減り、ついでにお金も溜まるので金運アップともなるにゃ。
改革の月だからこそ、この機会を逃さず整理整頓にチャレンジしてみてにゃ。
4月の運気アップカラー。
恋愛運アップ…白、赤、桃色、黄色、銀色。
夫婦円満運…みどり、ベージュ、紺、朱色、水色。 金色。
対人関係(友人運)…さくら色、ふじ色、オレンジ、レンガ色。
仕事運(試験)…藍色、きみどり、黒、こげ茶、むらさき。
災難除け…むらさき。
4月のパワーアップ食(旬の食材はエネルギー食。気力も体力もアップし、邪気も祓う力のある食材)
4月4日頃まで(春分・しゅんぶん)
桜の開花が知らせられると活動しやすくなる季節となり、本格的な春の到来を迎えるにゃ。春野菜をたくさん食べて元気になってにゃ。
この時期のおやつには、ぼたもち(おはぎ)や、うぐいす餅を食べると運気アップ。
春分の時期の旬の食材…うすいえんどう、グリーンピース、フキ、ウド、絹さや、たらの芽、菜の花、小かぶ、シラス、桜エビ。
4月5日〜19日頃まで(清明・せいめい)
清明とは、万物が清らかで いきいきした様子を表す清浄名潔(せいじょうめいけつ)という言葉を訳した晩春を表す季語にゃ。青く澄んだ空に草木が芽生え、花が咲き、鳥や蝶が舞い踊り、あらゆる命が輝く季節。心踊る季節は人が集まりお花見をしながら、楽しく歌い踊って過ごすと運気はアップ。但しお酒の量は控え目に。初カツオのタタキはニンニクスライスや、すった生姜を添えて食べてにゃ。この時期のおやつには、桜湯や桜餅や桜の塩漬けを使ったスイーツを。また桜の塩漬けを使った料理(桜おにぎりやカブの桜漬け、桜めしのおいなりさん)などが美容の運気アップになるにゃ。また、この時期に桜の咲く神社に詣でると頭の回転がよくなり、またボケ封じとなるので是非足を運んでみてにゃ。
清明の時期の旬の食材…コゴミ、ウルイ、イタドリ、ワラビ、三つ葉、ホタルイカ、初ガツオ。
4月20日〜5月4日頃まで(穀雨・こくう)
種まきを迎えるこの時期の雨は穀雨といい、良き種まきの好機ではあるものの、雨が降り続くと人体は太陽の陽を浴びなくなので免疫力が低下しやすい時期でもあるにゃ。免疫力の維持がとても大切な時期。この時期の食事の仕方が身体に大きな影響を与えるので気をつけて。身体から家にまでカビが繁殖しやすいこの時期。カビの繁殖は運気の衰退も招くので注意。肌が荒れたり手のひらや指に水疱が出来る人は、特に食事の仕方が大切となるにゃ。いつもより日々の食事の量を減らす事が大事で、日に三食たべている人は二食にし、二食の人は一食にし、一食の人は、その量を減らす事で身体への負担がかなり軽くなるので健康運はアップ。いつもより腹八分目の量にし、いつもより甘いものを控え目にし(スナック菓子や甘い飲料水はやめておいてにゃ)肉(特に牛肉)は少なくして、野菜中心の食事を心掛ける事が免疫力を下げないコツにゃ。また、毎日1パックの納豆や味噌(一日大さじ1〜2)を食べると、腸内で善玉菌が増え腸内環境が整うので、カビは繁殖しにくいにゃ。ひどい便秘の人は毎食納豆を1パック(一日3パックまで)食べるとお通じがかなり改善するにゃ。お通じの臭いもかなり改善されるはずにゃ。納豆は特によーく噛み潰す感覚で、いつもよりよく噛んで食べると唾液が良く出て納豆菌と混ざり、免疫力アップとなるので試してみてにゃ。下痢気味の人は乳製品を全てやめるとだいぶ改善されるはずにゃ。また、太陽が出ない日が続く免疫力低下時期に飲む薬は、身体を守るどころか破壊を招く恐れがあるので要注意。
穀雨の時期の旬の食材…行者ニンニク、新ごぼう、木の芽、アサリ、サザエ、マダイ、メバル、毛ガニ。
その他の4月の旬の食材…アスパラガス、セロリ、そら豆、タケノコ、レタス、トマト、アジ、アサリ、キス、さわら、ホタルイカ、スズキ、イチゴ、さくらんぼ、びわ。
今月も良い選択肢で、良い結果を得られるよう頑張ってにゃ。
みなさま ご機嫌いかがでしょうか。
猫丸ねずみです。
連日の気温上昇で桜が満開となった京都。
昨日から、京都の桜はハラハラと花びらが散り始めました。
ゆっくり桜を眺める間も無く、京都の春はものすごい速さで通り過ぎようとしています。
京都はこの土日、お花見日和ですね。
楽しくお過ごしください。
さて、3月の国会はすごいことになっていましたね。
さぁ、4月は挑戦と改革の月に移行していきますので、社会の動向には再び注視です。
今年卒業式を迎えられた方、そして入学式を迎える方々、就職される方や転勤されるという人生の節目を迎えられる方々には、ちょうど折よく挑戦と改革の星回りとなりますので、幸先の良いスタートの月です。
素晴らしい人生を歩みたいと願う方々は、日々の少しの努力を丁寧に行い、それを根気よく積み重ねいくだけです。
二宮金次郎さんという人物をご存知でしょうか。
小学校の銅像などで薪を背負った姿で有名な、あの二宮金次郎(にのみやきんじろう)さんの言葉に「積小為大・せきしょういだい」という言葉があります。
積小為大とは、小さなものを積み重ねないと、大きなことを為すことはできない…という意味で、毎日のコツコツした努力が大切ですょ…という教訓です。
これからの時代で必要とされる生き残るための知恵が満載の、二宮金次郎さんのサクセスストーリーを簡単にお話したいと思います。
二宮金次郎さんは、もともと農民の子供でした。
苦労して育った金次郎さんですが、小さな頃からコツコツと積み重ねた努力のお陰で、身分制度の厳しかった時代において農民出身の身でありながら、将軍直属の幕臣にまで大出世を遂げた人物なのです。
金次郎さんがご活躍された時代は江戸時代末期。
荒廃した土地を復興させた人物として知られる農政家であり、思想家でもある人物です。
1787年に神奈川県の小田原市の生まれ、祖父の代までは豪農だったそうですが、父親の代で度々近くの川が氾濫しては被災し、その度に借金が増えて二宮家は衰退してしまいます。
そして金次郎さんが14歳の時に父親が亡くなり、生活はますます困窮していきます。
そのため、金次郎さんは山で薪を払い集めては町に薪を売りに行って生計を立てていました。
その道中で本を読んで勉強している姿が、あの有名な薪を背負った二宮金次郎さんの銅像姿なのです。
そんな金次郎さんの姿を見て、村人たちは「アホとちゃうか!農民の子が勉強したって何にもならへん」と笑いました。
一生懸命な金次郎さんの姿を見て、村人が笑うのも仕方のないことでした。
何故ならば、この時代は身分制度がとても厳しく、いくら頑張っても農民の子が出世など出来る時代ではなかったからです。
金次郎さんが16歳になると、今度は母親も亡くなってしまいます。
両親が亡くなってからは、親戚の家に預けられることになります。
親戚の家に居候させてもらいながら、夜でも勉強する金次郎さんを親戚の人達は「灯りに使う油が勿体無いから勉強などするな!」といって怒ったそうです。
それでも、どうしても勉強のしたかった金次郎さんは考えます。
考え抜いた末、金次郎さんは友達からアブラナの種を借りて、その苗を植えて育てることを思いついたのです。
金次郎さんは、そのアブラナを種を蒔き一生懸命育てました。
やがて収穫したアブラナを油と交換してもらえるまでになり、金次郎さんは夜も勉強することが出来るようになったのです。
また、道に捨てられていた稲を見つけては、それを拾って使われていない田んぼに植えることを繰り返していくと、やがて一俵の米を収穫できるまでにもなりました。
金次郎さんは思いました。「そんな小さな努力を重ねると、少しずつ大きくなっていくんだな〜」と。
この時、金次郎さんは積小為大の大切さを実感するのでした。
そして、その後の人生もコツコツと努力を積み重ねていくと、借金で手放した畑などを20歳で買い取ることができ、二宮家を再興させることに成功しました。
その噂が村中を駆け巡り、その話を聞いた破綻寸前だった小田原藩の家老の服部家が、金次郎さんに家の財政危機を助けてもらいたいと考え、金次郎さんを雇います。
金太郎さんは、倹約の精神と賃金業を行うことで服部家の復興を見事達成させました。
すると今度は、その話を聞いた小田原藩のお殿様が、藩の財政危機を金次郎さんに何とかしてもらおうと登用しようとします。
しかし当時は身分の違いという大きな壁がありました。
当時の小田原藩の殿様は大久保忠真さん。
彼は器が大きく、人を身分ではなく その人の実力を評価する人物として有名な方だったそうです。
是非とも金次郎を登用し小田原藩を復興させたい…との願いも虚しく、家臣がこぞって身分が違いすぎると大騒ぎしをして大反対しました。
そこでお殿様は、金次郎さんの実績を作るために、分家に当たる下野国桜町(現在の栃木県)の農政を託すことにするのです。
そこは米が3000石取れる場所であるのにもかかわらず、800石しか取れない「うまくいかない土地」だったそうです。(1石(こく)というのは米の量の単位で1石は約150キロ。1石の米が買えるお金が1両。老若男女関係なく1人の人間が1年間に食べる米の量のことで、一万石の大名とは1万人の民を養えるだけの農業生産力を持った大名ということです)
そんな問題ある土地を、金次郎さんに任せたのです。
金次郎さんは徹底した現場主義でした。一軒ずつ農家の家を訪問し、原因を聞いて回ります。
すると、財政難となった原因が明らかとなりました。
その原因とは、農民たちは仕事もせず昼から酒を飲んだりギャンブルに明け暮れていたからだということが判明します。
金次郎さんは思いました。「農民たちはどうして働かないのか?」と。
その理由は、農民に対する年貢が余りにも高すぎて、農民たちは働く気力を失い自暴自棄に陥っていた…ということが理由だとわかったのです。
金次郎は考えました「では人々が働く気になる為には どうすればよいのか?」
そこで高い年貢を一気に4分の1にまで減らすことで、先ずは農民たちの働く気を回復させました。
そして、一生懸命働いた農民には藩が表彰し、農具やお金などをプレゼントする作戦を実行します。
すると、たちまち農民たちは仕事に対する意欲が出て頑張り出したそうです。
この時期、江戸では天保の大飢饉(1833年〜1839年)が発生し、数十万人もの餓死者がでる大災害に直面してしまいますが、金次郎さんが農政を託された場所だけは、金次郎さんの先見の明と知恵で助かることができたのです。
いったい金次郎さんは何をしたのでしょうか?
金次郎さんは大飢饉の起こる前の夏に、ナスを食べると秋茄子の味がすることに驚きます。
これにより、もしかすると冷夏になるかもしれないと予想したのだそうです。
金次郎さんはこの自分の予想を素直に信じ、寒さに強いヒエやアワなどを栽培するよう農民達に伝え、寒さに強い穀物を栽培していたことが大飢饉から村人を救うことになった訳なのです。
アワやヒエが村人達を飢えから守り、村人が1人も死ぬことはなかったそうです。
一方で、この大飢饉により小田原藩は飢えによる危機的状況に陥っておりました。
小田原藩を救う為に金次郎さんが提案したのは、米蔵の解放でした。
家老達はこの提案に不安と不満を抱き、約2ヶ月間も金次郎さんの助言に対し拒否をしますが、そうしているうちにますます事態が悪化した藩は、やっと金次郎さんのアドバイスを実行することになります。
金次郎さんの提案は、民を三つに分ける所から始まりました。
まず、お金があり食べ物に困っていない人を「無難」とし、お金がそこそこあり、食べるものにもそこまで困っていない人を「中難」とし、お金が全くなく食べるものに困っている人を「極難」として分け、極難の人達に対して、一日一合の米を提供したのです。
この時、金次郎さんはやせ細った極難の村人に言いました。
「体は痩せるだろうが餓死はしないだろう。空腹に耐えることが仕事だと思って耐えてほしい」と。
藩の米蔵の米が底を尽きる前に、次の手を考えなければなりません。
金次郎さんはまた斬新なアイディアで苦難を乗り越えようとします。
それは、無難や中難の人々に無利子で極難の人々に融資をしてほしいと頼むのです。
しかし、この斬新すぎるアイディアを受け入れる人はいませんでした。
そこで金次郎さんは、無難や中難の村人に対して、この言葉を投げかけます。
「誰かのためになることをすれば、いつの日かそれが自分に返ってきます」と。
それが報徳思想(ほうとくしそう)です。
私利私欲に走るのではなく社会に貢献すれば、いずれは自らに還元されるとの金次郎さんの思想です。
金次郎さんは、経済と道徳の融和を訴えたのです。
金次郎さんの転機により、それからの小田原藩では餓死者を出さずに済んだそうです。
この活躍も、たちまち世間に広まります。
この功績を買われた金次郎さん。
なんと、天保の改革を行おうとしていた江戸後期の大名であった水野忠邦さんより直々に「幕臣(将軍直属家臣)として働かないか」とスカウトされちゃいました!
その後、金次郎さんは幕臣として農政に携わり605の村々の貧困問題の解決を図り、大飢饉時代の救世主となったのです。
さて、現代日本の状況も災害が増え、貧困家庭が増えている状態です。
日本人の所得は、共働きが増えているのにもかかわらず、この20年で20%も減っているのだそうです。
金次郎さんのあみだした社会を再建させていく手法「報徳手法」が必要な時代ではないのでしょうか。
貧困世帯が少なくなるまで税金を少なくして、政府には無駄遣いをやめて貰いたいものです。
納税より先に、先ずは国民の生活を豊かにすることでヤル気を促し、人々の生活に余裕が生まれれば、心の安定から消費も増え、社会が活性化することでしょう。
社会改革に特効薬はありません。
地域経済と人の心を立て直すことを根気よくすることが1番の安定の道だと教えてくれた二宮金次郎さん。
今の世にあなたがいてくれたら…と、そう心から思いますが、しかし金次郎さんと同じように頑張る人が増えるなら、この世も必ず救われるでしょう。
捨てる神あれば拾う神あり。
政府が国民を守ることが為されない時代は、国民同士が手を取り合い助け合えば良いのです。
拾う神は、あなたの側にいる人です。
金次郎さんはいいました。
「生きてる時は人で、死んで仏になると思っているのは間違いだ。生きて仏であるからこそ、死んだ仏なのだろう。生きて鯖の魚が、死んでカツオになる道理はない。林にある時は松で、切ったら杉になるという木はない。だから生前から仏であって、死んで仏になり、生前から神であって、死んで神なのだ」と。
今の生き方が肝心だということですね。
自分さえよければ…という世のリーダーの背中をみて嘆いてばかりはいられません。
反面教師(はんめんきょうし・反省の材料となるような人物や事例のこと)で学ぶことが肝心です。
この世に生き神さまのような人が増えれば、助け合いの精神が行き渡り、厳しい世の中でさえも、乗り越えられる人が増えるはずです。
苦難を乗り越え自立できるようになれば、この世で出会った神さまのような人々の温かい想いに包まれた記憶、そして、その背中を見て育った体験は、良い応報を後世の人々に繋ぐ勇気と実践が生まれることでしょう。
温かい思いやりが交錯し、伝達されていく世になることを願いつつ…
猫丸も一生をかけて、日々 精進して参ります ( ̄^ ̄)ゞ
ほな(=゚ω゚)ノ